今年の夏は、暑かった。

 久しぶりに転勤したせい、でもないと思うが、実にイロイロな人に会った、いや再会した夏だった。

 まずは、「再会」のほうから。

 なんと言ってもキョーレツだったのは、免許更新講習での再会。八月の初めに開催された必須領域の講習では、同じ年齢で教員に採用された人間が、一同に会するワケで、高校時代や、採用試験以来の友人、新任のころの隣人・・・など、思いもかけないカオに出会う。10歳下、10歳年上の人々や、以前の職場の同僚も含め、至る所で、「ん、あのヒトは・・・」と、カオを見つけて名前を一生懸命たぐり寄せる。そういう時間的余裕があるときはイイ。ゆっくり記憶をたどり、自分と相手との距離を測りながら話しかければいいのだから。ただ、相手が私の旧姓で呼びかけてきてくれているのに、相手が誰だかわからない場合は、ツライ。過去の記憶が掠れてきているのは、老化の始まりか??イヤ、元々の許容量を越えて、いろんなことに出会っているから、もう上書き保存しかできないアタマになってしまているのか?

 同様のことが、教育課程の説明会(新学習指導要領の施行にあたって、10年に1回くらい県が開催するモノだが)でもあり、10数年ぶりに出会った数々の(この表現は決して大げさではない)カオに遭遇すると、当時の楽しい思い出や、冷や汗が出るような出来事が次から次へと去来する。

 人間ドックに入れば、やはり、以前の同僚に出会う。まあ、公立学校共済組合が運営している病院だからねぇ。自分の数値の悪化にウチのめされていたので、ろくろく話もできなかったけど・・・。

 社会人になった教え子に出会う。私の現在の勤め先の隣は、県の持っているセミナーパークという研修施設だが、たまたま、そこに散歩に出かけると、今年新採で数学の県の高校教員になった教え子に偶然で会う。その年度のトップの生徒だったが、つくづく、山口県の採用試験の難化を感じる。まあ、ぶっちゃけ私たちが教員になった頃、その教え子くらいの学歴や能力があるヤツは教員なんぞになりはしなかった。彼は、もともと教員志望で、夢が果たせたと言っていたが、そのくらいの優秀な人じゃないと最近の採用試験は合格しないのね、ととてもフクザツなキモチになる。いえ、こんな優秀な教え子が、私たちの同僚に加わってくれてものすごくウレシイし、ちょっと自慢したいんですケド(笑)同時に、現在の職場の若年「臨時的任用」者の多さにため息が出る。どーにかならんのか。

 2年前の卒業生の教え子の女の子たちと飲む。へえもう20歳かい、成人式かい、大学はどうなのなどと、結構盛り上がる。そういえば、その直前、2浪目にはいった男子にも、駅でばったり出会ったけ。取りあえず、元気そうでホッとした。ケド、なかなか自分の夢を実現するのは難しいなあ、Aくんよ。

 新しい出会いもあった。まずは、聴覚障害英語教育研究会の全国大会。大阪の大阪市立聴覚特別支援学校で開催された。手話のおぼつかない私は、他の先生方の実践や、豊かな手話表現に圧倒されるばかり。筑波技術大学の松藤先生をはじめ、多くの先生方の示唆に富んだ発言を耳にすればするほど、勉強になると同時に、自分の立ち位置や進むべき方向性がわからなくなる。「聴覚障がいだからこちらが率先してやらねばならぬこと」と、「聴覚障がいだけど、普通の生徒と同じでやらねばならぬこと」の整理が自分のなかで、きちんと整理できていない感じがする。

 夏が終わって、これをのんびり書いていたら、「英語教育」の11月号がきた。卯城祐司先生のコラムのなかで、筑波技術大学で教えられていることが書かれていて、「聴覚障害の英語教育」も、「英語教育」の範疇なのだ、と認識し(こんな書き方はホントはよくないのだろうが)本当にホッとした。コラムの最後にある、「障がいを持つ生徒たちに特別なことをしてあげるのではなく、同じ授業内容を保障すると考えるべきだ」という先生の主張にも考えさせられる。

 最後に和歌山市とその周辺で行われた「教育のつどい」全国大会。所属している教員組合の全国教研だが、レポートを持ってはじめて参加する。2日目から行われた外国語分科会では、まさに全国の様々な実践をしておられる先生方が集まり、その日々の教育活動の報告を通じて、様々な現場での様々な取り組みに触れ、勉強させていただいた。私が持参したレポートは、前任校の防府高校でのOCの取り組みについてだったが、結局、この研究大会を象徴する「同僚性」に則ったものとなっていて、なんとなく、発表させていただいただけでも、ちょぴっとウレシイ感じがした。「協同学習」の第一人者の江利川教授や根岸先生とも、少しお話をさせていただくこともできた。「協同学習」については、今の現場に導入することをあまり考えてはいないが、実践と理論の両方から、基本的なことを教えていただいて、ホントに勉強になった。そうでなければ、「協同学習」について知ろうとも読もうともしなかっただろうから。

 でもこの全国教研の間で、一番うれしかったのは、同じ県から参加者されている他教科の先生から「山口県では英語は防府高校がいい」と、ある大手の模試業者さんが県内のいろんな学校で言って下さっていることをお聞きしたことだ。3月までいた職場が、そういう評価をしていただいて、本当にうれしい。

 同時に自分の8年間の防府高校での実践を考えると、いかにそれに没頭していたかに気づく。8年間、それなりに研修はしてきたつもりだが、今年の夏ほど、いろんな人に会うことはなかった。日々、学校と自宅の往復で終わっていたのが現実だろう。没頭し、集中できていたのは、ある意味、とても幸せだった。思えば、「進学校」の英語教育は、「大学進学」という進路実現に生徒の希望も学校の方針も集約されるので、わかりやすく、実行もしやすかったし、教材やカリキュラムが少々変わっても、軸の部分が大きく変わることはない。
 
 今の自分を考えると、「英語教育」の大きな流れを見据えながらの「障がい児教育」が果たして可能のなのか?それを実践すること(または実践しようとすること)が、生徒たちの幸せにつながるのか?と、自分を支える根っこのところがぐらぐらと迷っている状態である。いわゆる「障がい」のある生徒に接していると、人間の持つ能力の幅の広さと多様性に日々驚かされる。生徒のもつ「可能性」を大切にしつつ、取りあえず、2学期もがんばってみることにする。

(2010年 10月)