オールイングリッシュで授業してみた

前回「なんか書いてみ」てから半年以上が過ぎた。「道案内」が2004年の秋だった。今、2005年の7月になってしまった。この半年以上、私が何をしてきたのか・・・。はっきりいって「仕事」。日々、教材研究とプリントや小テスト作りとHR運営と膨大な量の雑用・・・。自分のことを省みたり、整理する暇もないまま、やっと1学期も終わり頃になってこれを書く。

昨年(2004年)12月、ALTとのTT以外では初めて、オールイングリッシュで授業をした。が、後が続いていない。1回限り。少なくとも今のところは。

そのオールイングリッシュの授業を「企てた」のは、他でもない、扱う教材がまず生徒たちには易しいと思われたからだ。その1時間の配当の範囲に文法事項としてとりあげなくてはならない箇所はない。語句はややムズカシメだったが、かえって他の易しい語で言いかえができる。指導目標の1つに「語句の意味の推測」もあるし、これでイケルだろう。指示英語は日ごろから使ってるし。まあイケルイケル。

ということで語句の推測用のプリントを作る。でも結構大変。

当日。まずは理系のクラスから。声はうわずるし、噛むし(しょっちゅうやってるけど)、緊張してくるし。私の緊張は生徒にも伝わり、いつもより全体的にタイトな感じで進む。問題の語句の推測。astronaut と astronomerを間違えた生徒に英語で説明してみる。説明後、正解へ。なんだかうれしい。

そのうちに授業終了。生徒のため息が聞こえる。そうか、今日私が一言も日本語を発しなかったのがコイツラにもわかったか。それにしてもガンバッタよなあ。まあ、この人たちは日ごろから真面目に予習してくる人たちだもの。だいたい理解できているんだろう。

2時間目は文系のクラス。理系のクラスよりやや学力差がある。不安。同じように英語で授業を展開していく。こちらの緊張は解けているが、生徒がどんどん「引いて」いくのがわかる。同じように語句の推測をさせる。当てた生徒ががよかったのか悪かったのか。英語で言い換えたり説明してもどんどん迷い道に入っていってしまう生徒・・・。とうとう私の口から日本語がついて出る。その瞬間、生徒の緊張が消え、口から正解が出る。その後、英語で続けたが、こちらの集中力も切れたような感じになり、いつもとあまり変わらないような感じで終了。

その日、私は考えた。

オールイングリッシュで授業することそのものがゴールになっていたとしたら笑止千万だな。オールイングリッシュに意味がない、価値がない、と言っているわけでも、結局日本語を使ってしまった自分に対する負け惜しみでもなく、結局、生徒とのinteraction がなかったら、何の意味もないじゃん。自分だけが一方的にしゃべったってなんにも面白くない。生徒が参加しなくっちゃね。

今回の「企て」はいきなりやったから「失敗」したのか?いや。指示英語なら日ごろから使っている。教材を選び、文法事項の説明の要らない箇所で踏み切った。プリントで補助もした。継続的にやればきっともっとうまくいく・・・。だが、次回、それを基に同じようなオールイングリッシュで授業が展開できるかというと、それは不可能。文法説明が要る。40人のクラスで、教科書を使って授業をするという縛りがなければ可能かもしれないけれど。

もしかすると、最近話題の「和訳先渡し」は、「オールイングリッシュで授業」の延長上にあるのか?授業中の英語の使用頻度を高め、なおかつ生徒には「理解させている」という「確信」を教師側が持つための方策か?1時間の授業に限らず、それぞれの教育現場には1年間のそして3年間通しての指導目標があるのだから、「和訳先渡し」も、「オールイングリッシュの授業」も否定はしないけれども、教師側の都合にだけ合わせて、というのは避けたい。結論。「オールイングリッシュの授業」はあくまで「過程」であって、「ゴール」や「目的」にしちゃダメだ。

(2005年 7月)