N君

Nくんは腕のいい配管工である。大きなプラントの中にはいったりして結構ツライ仕事もしているらしい。10年来の知り合いだが、この5年近くは会っていない。最近会ってないから風貌は変わったと思うが、初めて会ったとき、彼はソリの入った茶髪、車高を低くしたアルミホイール付のクルマ、黒いサングラスで、そのスジの人かと思ったら、サングラスの下の目がカワイラシク、なあんだ、と笑ってしまった。

彼のシュミは幅広く、パチンコから写真、スキー、クルマ・・・とイロイロ手を出していたが、ノメリこんでいた(いや今もノメッテいるんだろーきっと)のはインターネットのオンラインゲームである。しかもインターナショナル。たとえ猛暑の中、仕事でヘロヘロでも深夜2時3時、睡眠時間4時間でもハマってできるそうだ。私はそのサイトに行ったことはないが、話をきくと、いわゆるRPG系で、そのサイトに出入りして、すでにそのステージをクリアしている人から情報を得なければなかなか攻略できないツクリになっているらしい。10年くらいまえは、結構頻繁に電話がかかってきていた。ヒントをもらったけど英語でわからん、という内容。電話ごしにスペルを聞いて、それを書き取り、こっちも辞書をひきながら答える。「なん、この単語・・・見たことないよ・・・あ、辞書にあったあった。」「へえ。センセでもそうなんだ。このwhichは関係代名詞じゃろう?だから・・・」「なんだ、わかってんじゃん。」結局、カレがつまずいているのは単語だけで、文法なんかは問題ないようだったので、語彙数の多い英和中辞典をプレゼントしてやったら、ピタッと電話がかかってこなくなった。(それはそれでサビシイものだが)

4,5年前に聞いたときは、オンラインゲームのチャット画面で、とにかく英語や中国語が飛び交い、常にゲームについての情報交換を始終していると言ってたっけ。「いやあ、略語とかも多くってさあ、面白いんだけど、ちょっとしたアイヅチが困るよねえ・・・ガッコじゃ教えてくれなかったしさあ。」「ホントだね。私らでもよくわからんし。ゴメンよ。」「でも大丈夫。慣れてきてだいぶわかるようになったしさ。中国人とか漢字交じりの文でヘーキで書いてくるけど、漢字の並びでだいたいわかるしさ。」「ふうん、ガッコと家の往復で平凡な毎日の私に比べてインターナショナルじゃねえ」「そうかねえ、ハッハ」

そういえば先日(と言っても1年くらいたつか)N君からいきなり英語のFAXが。海外のゲームを注文していたのだが、船便が遅れ、納品が遅くなる。このことでキャンセルしたい場合は次のように・・・といった、ゲーム会社からのFAXを転送してきたのだ。その内容を伝えると、「なんだ、思ったとおりだったよ」と安堵した様子。「ちょっと自信がなかったんよ。お金も絡むしさあ」・・・でも英語で注文を出すときには全く迷いも何もなかったんだよね。契約内容を自分で確認し、判断してんじゃん。ガッコと家の往復で平凡な毎日の私に比べたら、はるかにインターナショナルじゃん。

Nくんは高校を卒業していない。入った工業高校は面白くなくてやめてしまったのだ。

Nくんのことを思うたび、私は必ず、カレに英語を教えた中学校の先生はエライと思う。N君は基礎ができていた。N君の英語力は、オンラインゲームで磨かれ、チャットに十分対応できるし、買い物だってできる。それも中学のときに身に着けた基礎力があってのことだ。カレの性格もあると思うが、インターネットの海の中を英語という道具を使って楽しそうに泳ぐN君の姿は私の目には、ある意味、現代の国際人の姿として映る。インターネットのおかげで、1地方都市の配管工の青年(いや、もうおじさんになったか?)だって、日常的に英語でコミュニケーションをとる時代になったんだなあ。

学校教育ってこういう日のためにあるのだろう、きっと。将来、なにか必要になったときのための基礎訓練。Nくんの中学校、高校の英語の先生が今の彼を想像していたとは思えない。でもきっと丁寧に基礎的な文法とか教えてくれたんだろう。目の前にある入試や資格や昇進や、それから今はコミュニケーションに直接つながる英語ではなくても、いつか思い出して役に立つ日が来る・・・「教育」の本質ってそんなものかもしれない。


(2005年 7月)