私とOCA

 OCAが高校に必修科目として導入された1994年、私は光丘高校にいた。初年度こそ、3年の担当でOCAの授業を受け持つことはなかったが、その翌年の95年には校内のOCAの担当となり、授業案や少人数クラスの教室割りを受け持つことになった。

 当時の光丘高校は創立10年余りの「若い」高校で、恵まれた設備と先進的な制度を持っていた。また、創立当時に全県から集められた選りすぐりのスタッフがおり、それまで島の小さな分校にいた私には、へぇ、大きい学校っていろんな点で、こんなにしっかりしているんだ、と感心することしきりだった。それは、学校全体のシステムのみならず、英語科としての体制もよく整っていた。

 光丘高校はすでにALTのベース校だった。そして、OCAの導入前から、英語Tの授業などでTTを積極的に実施し、TTやコミュニケーションを重視した授業についての校内研修も行われていた。また運用や、評価の方法も事前に研究されていた。OCAの授業は初年度から少人数(1クラスを20人ずつの2講座にわけて同時に実施)で行われた。(詳しくは、「英語教育」誌に掲載された拙稿を参照されたい。)とにかく、そのときは愚かにも気がつかなかったが、すでに準備万端に近い状態で、用意はされていたのである。だから、「さあ、今年からOCAが必修ですよ、ゼロから初めてね」という状況ではなかった。(これが当たり前、なのだろうが、今考えると、スゴイことだ。)

 運用や評価の方法は整っていたが、実際に授業をする、となると話は別である。OCAの授業ってどうすればいいの?何をモデルにすればいいの?どういう授業展開をすればOCAの授業が成功したといえるの?1時間の授業の中で、何をどれくらい生徒に活動させればいいの?どのくらいの量を教材として用意すればいいの?教師の英語の使用量はどのくらいが適当なの?・・・と、とにかく、わけもわからずはじまった。

 私が関わったのが導入の2年目、ということで、いろいろな面でラッキーだったと思う。1年目で、どんな教材が使いやすいか、どのような授業展開がやりやすいか・・・その前年に携わった同僚たちがいろいろと試行錯誤をしていてくれていた。そのおかげで、OCAという教科に対しておおまかなイメージが持てた。また担当者の誰もが「初心者」だった。そのため、ALTを中心に、担当者みんなで教案や教材を共有しながら、指導法や評価法について、お互いに情報交換していた。

 私にとってのOCAの初年度・・・火曜日と木曜日がOCAのある日だったと思う。どちらの曜日も1時間目はTTの打ち合わせのために、日課を組む段階から空けられていた。また木曜日の6時間目は科内でのミーティングの時間に割り当てられていた。月曜日はいつも教材作りに追われて、帰宅が遅くなった。夜、教材を作るために、学校の近くの文具屋に走ったこともあったっけ。木曜日は、1日中、ギッシリ授業をやったあと、ほっとする間もなくミーティングに突入!していた。とにかく、明けても暮れてもOC、OCで、1年が過ぎていった。

 私にとって、その1年、そしてOCAとは何だったのだろうか??今、思い起こしてみると、現在の私の授業の原点はこの1年にあるような気がする。生徒が楽しみながら集中して活動する教案および教材を考えること、授業で使う英語の量を増やすこと、学習の動機付けは、やはりコミュニケーションの成立であること・・・。それから、当時の光丘高校の英語科の体制はやっぱりスゴかった、と書き添えたい。英語教育雑誌などで取り上げられる英語教育の諸問題(例えば、客観別評価や教員研修など)の答えが、そこにはあった。当時はそれが当たり前で、それがどんなにスゴイことかわからなかったけれども。


(2004年8月)