拡散的思考・集中的思考を促す学習指導とするために
 
                                     福山市立水呑小学校  教諭  粟村啓史
1.発問の分類から

(1)授業中に、場面に応じて「拡散的思考」や「集中的思考」を促そうとすれば、促すに足る発問をもって授業を構築
  しなければならない。

(2)「発問」は、以下に示す四通りのジャンルに分類分けすることができる。
 
 ア)形式的発問
   ・「問い」と「答え」の形式的なやりとりだけで十分事足りるような発問。「問い」に対する「答え」が狭く限定され
    ており、ほとんど思考活動を必要としない。授業の滑り出し、助走段階などで、とにかく子どもの声を誘いた
    いときなどによく使う発問。例えば、「これは何ですか?」−「鉛筆です。」etc.
  
イ)内容的発問(意味発問)
   ・「問い」に対して答えようとすれば、対象の意味内容まで踏み込んで考えなければならない。「問いの対象」の
    「内容」や「意味」・「理由」などを考えさせる、対象の意味内容を考えさせる、という意図を持つ発問。大変多
    くの思考活動を必要とする。
 
 ウ)拡散的発問
   ・発想の幅に制限を加えず、どのように考えてもよしとする発問。ありとあらゆる可能性やありとあらゆる考え
 を導き出そうとする発問。子どもの答えは幾通り、いくつあってもかまわない。
  
エ)集中的発問
   ・発想の幅に制限を加えると共に、考える方向を厳しく限定した発問。多くの場合、次の二通りのあり方が一
    般的である。
     @最初から考える対象を細かく限定して行う場合。
     A拡散的発問の後、多く出された考えを整理したり、多くの考えからより適切なものを再思考したりする場
       合。
 
(3)上記の「形式的発問」「内容的発問(意味発問)」「拡散的発問」「集中的発問」を、以下のようなマトリックスで考え
  る。






 

 

  形式的発問

  内容的発問(意味発問)

拡散的発問

    A (2)

      C  (3)

集中的発問
 

    B (1)
 

      D  (4)
 






 
 
・A ・・・ 「形式的な拡散的発問」
       例えば、自分の経験や体験を述べさせたりして展開の糸口とするような場合。自由にいろいろ答えてい
       るようだが、「問い」と「答え」の形式的なやりとりだけで十分事足りるような場合の発問。思考の難易度
       レベル2。
 
・B ・・・ 「形式的な集中的発問」
       例えば、「これは何ですか?」−「鉛筆です。」と答えるような場合。答えるべき答えが一つに限定されて
       いるような場合の発問。思考の難易度レベル1。
 
・C ・・・ 「拡散的な内容的発問(意味発問)」
       対象の意味内容まで踏み込んで考え、ありとあらゆる可能性やありとあらゆる考えを導き出そうとする
       発問。 例えば、「〜について、どのような場合が考えられますか?」とか、「〜は、どのような理由が考
       えられますか?」といったような、「どのような」を考えさせる場合の発問。または、「〜は、どのようにし
       て行ったと思いますか?」などの「どのように」を考えさせる場合の発問が考えられる。思考の難易度レ
       ベル3。
 
・D ・・・ 「集中的な内容的発問(意味発問)」
       発想の幅に制限を加え考える方向を厳しく限定すると共に、対象の意味内容まで踏み込んで考えさせ
       ようとする発問。例えば、「これらをいくつかの仲間に分けてご覧なさい。」とか「〜の方法を五通り考え
       なさい。」とか「この場合、あなたはどちらを選びますか?」といったような、一歩踏み込んだ思考活動を
       必要とするような発問。思考の難易度レベル4。
 
(4)上記のマトリックスから、思考の難易度レベルは、B → A → C → D の順であると考えられる。教科学習の中
  で磨いてやりたい「拡散的思考」や「集中的思考」は、主としてC、Dの中で育まれる。
 
(5)従って、授業に際しては、「今はどの段階の、どのような発問が必要なのか。」とか、「この発問は上のマトリクス
  のどこに分類されるものか。」を常に意識しながら、発問構成や授業の組み立てを行っていくべきである。
 
 
2.思考活動を促す手だて
 
(1)思考活動を促す手だてとして、



 

@自分の考えをノートに書かせる。
A討論的授業を組み立てる。
 
  という、二つのことを考えておきたい。
 
(2)上記の二つのことは、全く別々のことではなく、互いに相補い合う重要な関係にある。
  「討論的授業」が成立するためには、多くの思考活動が必要である。その思考活動は「自分の考えをノートに書
   く」ことによって鍛えられる。また、「自分の考えをノートに書」いているからこそ、討論的授業となる可能性が高
   まるのである。
 
(3)「自分の考えをノートに書かせる」ということは、すべての子どもに「自分の考えを持たせる」或いは、「自分の意
  見を持たせる」ということである。この下準備なくして、「討論的授業」は成立し得ない。なぜなら、自分の考えや
  意見を互いに述べ合うところに「討論」は成立するからである。自分の考えや意見を持たない空間には、「討
  論」を生じさせることはできないのである。
 
(4)自分の考えや意見をノートに書かせるためには、「文章を書く」という訓練を積ませなければならない。合目的的
  な練習学習のもとに、文章の書き方を教え、文章を書くことを毎日続けさせる、ということが必要である。
 
(5)討論を支える文章とするためには、







 

 ア)結論から先に述べ、理由や考えはその後からじっくり述べる。
 イ)一つの考えを貫き、理由や考えをできるだけ多く、長く書く。
 ウ)いくつかの視点から、いくつかの考えを書く。「こう考えればこうだが、こ
  ういうふうに考えると、こんなふうなことも言える。」といったような、多
  様な考えの可能性を述べ、その中から自分はこうだという結論を書く。
 エ)常態文で書く。(学年の発達段階による。)
 
  といったような文章の書き方であることが望ましい。また分量も、少ないよりは多く書けていた方がいい。論点は
  少ないよりも多い方がいいのである。
 
(6)「討論の授業」とは、授業の中に討論が生じ、互いの討論によって授業が進んでいく、というような授業のことで
  ある。
 
(7)「討論の授業」とするためには、




 

@日常的指導
A発問
B授業の組み立て
 
  が必要である。
 
(8)授業の中に「討論」を生じさせるためには、討論を生じさせるに足る発問をもって、意図的に授業を組み立てな
  ければならない。
(9)「日常的指導」とは、




 

ア)書くことを鍛える指導。
イ)発言方式(形式)を教える指導。
ウ)発言を鍛える指導。
 




 
   ということである。
 
(10)発問を「討論を生じさせるに足る発問」とするためには、漠然とした問いは極力避けなければならない。ハッキ
   リ、クッキリとした鮮明な発問、何を考えるのか、何を答えるのかが明確に分かる発問にするべきである。
 
(11)また、「討論を生じさせるに足る発問」とするためには、



 

 @鋭く判断を迫る発問
 A厳しく選択を迫る発問
 
   となるよう心がけるべきである。答えや考えが二分、三分する、或いはそれ以上となるような状態を作ることが
   望ましい。そして、それらの考えを互いに戦わせることにより、討論の授業としていくのである。
 
(12)考えや意見がいくつかに分散してしまったら、まずそれらを整理しなければならない。例えば以下のように行う
   のである。




 

 ア)いくつかのカテゴリーに分ける。
 イ)多くの考えや意見を二つか三つに絞り込む。
 ウ)その後意見を戦わせ、討論させる。
 
 
(13)まず「拡散的発問」によって多くの考えや意見を出させ、その後「集中的発問」によって考えや意見を絞り込ん
   でいくのである。
 
(14)このような手だてを組むことにより、「拡散的思考」や「集中的思考」を促す取り組みが可能になっていくのだと
  思われる。逆に言うと、取り組みが薄ければ、「拡散的思考」や「集中的思考」を促す度合いも薄くなってしまう
  可能性はあるだろう。
 
(15)またこれらは、「表現力」を鍛える手だてでもある。そのように解釈すべきである。


※尚、この文書は、「拡散思考や集中思考を促す取り組みをしよう」という我が勤務校の研修の際に提案したもの
  ですが、これらのことは、今まで私が個人的に「教育技術の法則化運動」(代表:向山洋一氏)の中で学ばせて頂
  いたことを自分なりに整理したものです。