TOSSランド/教師修行・実践交流/生活指導交流
四月の年度当初の頃,子ども達に話をしたことでした。
自分のわがままを押し通すのではなく相手のことを考えた思いやりのある自分達になろう,と子ども達に語りたいとき,説教じみた話をするよりこのお話を語りながら教師の願いを訴えたほうが,子ども達が聴いてくれます。考えるような目をしながら話を聴いてくれるのです。
天国にも地獄にも食べ物は同じ分量,たくさんの食べ物があります。天国でも地獄でも,みんな
ま〜あるい テーブルを囲んで座り食事を始めるのですが,その時両者とも1メートル以上もある長い長い箸を使って食べなければならないのでした。天国でも地獄でもその条件は全く同じなのでした。
ところがいざ食事を始めるとなると,天国と地獄ではその箸の使い方に大きな違いがありました。
地獄にいる人はそのなが〜い箸を使って一生懸命食べようとするのですが,箸があまりにも長すぎるために,なかなか思うように食べ物を自分の口まで運ぶことができません。益々躍起になって自分で自分の口まで食べ物を運ぼうとするのですが,躍起になればなるほどうまくいかず,食べ物はポロポロポロポロと下に落ちるばかりでした。ですから地獄にいる人達はいつまで経ってもおなか一杯になることはできず,いつも空腹の状態に苦しまなければなりませんでした。
一方,天国にいる人達はいつもおなか一杯の満足感を味わい,幸せを感じながら過ごしていました。天国にいる人達は,そのなが〜い箸を決して自分のためには使わなかったのです。そのなが〜い箸で食べ物をつまむと,その箸を自分の正面に座っている相手に向かって差しだし,「あなたからどうぞ」と言って相手の口元まで自分の箸を運ぶのでした。テーブルを囲むお互いがみんな同じように,「あなたからどうぞ」という箸の使い方をしています。相手のために働かせる箸をみんなが持っているのでした。決して自分のために使う箸ではなかったのです。相手のために自分を働かせることによって,相手もまた自分のために働いてくれる。天国ではそういうことが自然に行われているのでした。ですから天国にいる人達はいつもおなか一杯で,幸せいっぱいなのでした。
自分の「満腹」(欲求)を満たすことだけを目的にし,そこから抜け出さずにいくら躍起になっても結局は「空腹」(空しさ)に苦しむだけです。自分だけのことから出発したのでは,本当の「満腹感」(満足感・幸せ)を感じることはできないということなのでしょう。
人間はいつも長い長い箸を持って生きているのかもしれません。人生の瞬間瞬間にその長い箸をどのように使っているか,地獄に近い使い方か,天国に近い使い方か,自分のその時の心のあり方を顧みると,今自分は本当に幸せを感じているのだろうか,自分の心の幸せを再認識できるかもしれません。子ども達の心情面の育成にも,「あなたからどうぞ」と言って相手のために使える「なが〜い箸」を持たせたいものです。
尚,この話の原型は,私が大学生の頃に酒の席で友人から聞いた話です。但しこの場における文責は粟村本人です。
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