LA&フロリダ6泊8日の旅
1998.5.31(日)〜6.7(日)
まもなく出発編
家の前にて
98年の5月31日は忘れられない結婚式の日です。式の後、準備をして早速旅立ち、しかし、ずぼらな我々はいったん家に帰ったもののなかなか準備がはかどりません。迎えの友人が来てくれてあわてて準備、その間も友人の綾子はひたすらシャッターを押し続けたのでした。
空港へ向かう車の中で旦那は義母さんの所へ「これから出発します」など、報告の電話を。私はいとこの所へ電話をしていとこの奥さん(アメリカ人です)のご両親に旅先でお会いする約束をしていてその詰めの打ち合わせを。電話も終わり空港へ向かう高速道路の中で私はとんでもない事に気づきました。「あ〜、モデムケーブル〜!」そうです。今度の旅ではアメリカでアクセスするのをとっても楽しみにしていたのに、その手段であるケーブルを忘れたようなのです。といっても引き返すことも出来ないので、「まあ、ケーブルくらいアメリカで買えるでしょう。」と甘い考えを持ったまま旅立つことにしました。(それが本当に甘い考えだったことはその時は気づきませんでしたが)
ちょっとあせってる?車の中
空港には予定通り出発の約2時間前に到着。手続きを済ませて時間があったのでみんなでお茶しようと思ったのですが、茶店が開いてない〜。24時間空港なのにお茶出来る場所はなし。開いてるのは某牛丼屋さんだけ。 仕方なしに缶ジュースを買ってベンチで時間をつぶします。今度はみんなでソウルに行こうね〜。何て約束をして、そろそろ時間になったので空港施設内にはいることにしました。
少々画像が悪いですが、これから空港施設内に入る我々
中の売店はもちろん開いていません。ですから搭乗口近くのイスに座ってテレビでも見てますと、やっと登場開始、ちなみに出発は24時30分。結婚記念日がどたばたしているうちに過ぎてしまい、日付も変更してしまいました。(・・・しかし、アメリカに到着すると時差の関係でもう一度5月31日が復活するのでした。)
アメリカに到着・LA編
飛行機はタイ航空。バンコクから関空を経由してLAへと向かう便である。乗り込むと乗組員はタイの方ばかりで、すでに日本語が通じにくい環境に入ってしまう。とはいえ、さすがに一日の疲れのため、ドリンクと機内食を頂いたあと、普段寝付きの悪い私もさすがに一日の疲れがどっと出た物と思われ、ずっと寝続けたため、ふと気付くと間もなく到着である。無事ランディングしたあと、時計を合わす。現地時間は日付変更線を越えるため、5月31日の夕刻。そう、「短いようで長かった5月31日」は実はまだ終わらない。
空港に降り立つと偉そうに嫁は「う〜ん、アメリカの匂い」とほざく(^_^;)。そりゃ、私は米国は12〜3年ぶりですよ〜だ。空港の階段では、WEL−COMEっつーことで、クリントン大統領のポスターがお出迎えである。「おお、ク○ちゃんやんけ」などと親しげに危ない言葉を発しながら通り過ぎる(^_^;)アホ。さて、まず第一関門の入国手続きである。周囲は全て英語という中、おっちゃんの身振りに従って適当なところに並ぶ(^_^;)。しかしどうやら並ぶところが違っていて、我々は違う種類の書類を書かなければいけないらしい。だが、その書類が見あたらないので、おそるおそる黒人のお姉ちゃんに「エクスキューズ・ミー」と尋ねる。すると「はい?」と返事が返ってきた。"Hi!"ではなく「はい」である(^_^;)。よくみると肌の色は黒いが、顔立ちは我が同朋のものである。救われた思いがして、無事書類に記入することができ、審査官のところに進む。この審査官は書類を見て"Yes,Yes,...,Perfect!"などとおだててくれた(^_^;)。我々はおだてられると木にも登ってしまうと言うことをどうやって知り得たのだろう。スーツケースを受け取り、ロビーへ出て、H○Sのおっちゃんと落ち合い、屋外に出る。外はもう7時になろうかというのに真っ昼間のようである。しかも雲一つ見あたらず、まさにカリフォルニアの青い空である。聞くと、こちらの日没は大体20時頃、日が長いのである。車に乗り込んで、一路宿泊先に向かう。途中懸案であるモデムのケーブルについて尋ねる。宿に着いた後、一緒にパソコンショップを探してあげる、と親切にも答えて下さる。このおっちゃん、こちらでの生活が長いのか、日本語が若干怪しい(^_^;)。でも、結構喋り好きで特にお天気関係にはうるさいようだ。「エルニーニョを語りだしたら3日はかかる」などと言いながら蘊蓄を披露してくれた。ホテルまで3日かかると困るが(^_^;)、幸いそこそこの時間で辿り着くことができた。
ホテルはロサンゼルスの一等地ロデオドライブの一角にあり映画「プリティウーマン」の舞台としても使われたビバリー・ウィルシャーというホテルである。さすがに超一流ホテルだけあってベルボーイからしてテキパキしている。H○Sのおっちゃんがチェックインしてくれる。ついでに懸案事項を尋ねようと受付の向かいにいる案内係のところに行く。この案内係のお兄ちゃんが、ハンサムな上に親切で、なおかつテキパキと仕事をこなしていくタイプで非常に感心させられた。あちこち電話をかけてパソコン関係の店を数店ピックアップしてくれた。うち1軒は24時間開いているから今からでもいける、と教えてくれる。いたく感動した我々は丁寧にお礼を言うと、いえいえ、という手振りをしながら"You're welcome."でなく"My pleasure."と言ってくれた。この言い回しを知らなかった私は、良い言葉だなぁ、と重ねて感動した。そして荷物はベルボーイに任せてH○Sのおっちゃんにパソコンショップの場所まで乗せていってもらい、一緒に探してもらう。なかなか見つけにくい店だったが、ようやくショッピングセンターの向かいに発見した。ショッピングセンターでは映画もやってるよ、とおっちゃんが教えてくれた。LA滞在中にハリウッド版「ゴジラ」を見たいと思っていた我々は脳裏に焼き付けておく。で、やっと見つけたパソコンショップであるが、元々カー用品を商っていた店が拡張してパソコン関連も扱うようになった、という感じで品揃えがいかにも貧相であった。一応店員に尋ねてもらうが、やはりない、とのこと。今日中の通信は諦めて、とりあえずホテルに引き返すことにする。駐車場への移動中ふと見やると"Godgilla"の看板が眼に入る。映画館があるというショッピングセンターは道路を挟んで向かいにあるので、ここは駐車場かな、と軽く思いつつ、「おお、確かにやっとるわい」と思いながら車に向かう。車で数分、ホテルに帰る。おっちゃんには丁寧に礼を述べて別れ、いよいよ部屋に入る。
するとテーブルに大量のイチゴとシャンパンが1本置いてある。メッセージを見るとH○S岡山の今回の手配をしてくれた人からであった。早速冷蔵庫に入れる。とりあえず少々お腹もすいたので街に繰り出してみることにする。とはいえ、既に9時を回っており、街は静かであった。治安はどうだろうと思いつつ、ぶらぶらしていると、先ほどPCショップの行き帰りにおっちゃんが勧めてくれた「チーズケーキファクトリー」というお店が目に入った。「最悪チーズケーキだけでもいいか」ということでこの店に入る。メニューを見ると結構盛りだくさん。サラダとパスタとチーズケーキを一皿ずつ頼む。日本では考えられないような頼み方であるが、実はこれが正解で、一品一品がとにかく大きい。とてもじゃないが一人で食べきれる量ではない(^_^;)。レストランの中は天然の(^_^;)金髪や銀髪、茶髪の方々ばかりでみんなワイワイと楽しんでいる。窓から見える街の風景も当たり前の事ながら異国の街並みである。まるでハリウッド映画のワンシーンの中に潜り込んでしまったかのような感覚に襲われる。デザートのチーズケーキは日本で出てくるものの倍かそれ以上の大きさであった。だが、さすがにあのおっちゃんが勧めるだけあって、確かに美味しい。死ぬほど薄い(^_^;)米国式珈琲を飲みながら結局全部平らげる。結構キュートなウエイトレスのお姉ちゃんがお勘定を持ってくる。「チップはどうしたらええんやろう」と習慣の違いに戸惑いを見せていたが、そのお勘定の中に日本語で(^_^;)「15〜20%程度のお心付けをお願いします」旨が書かれてある。ホッとした我々は20%弱をチップとして勘定を済ませる。お姉ちゃんは上機嫌で「バ〜イ」とやってくれた。
ホテルに帰って、テレビを付ける。だが、どこも日本語の放送をやっていない(^_^;)。仕方がないので、画面だけ見ていたら何となくわかりそうなチャンネルを、ということでESPNというスポーツチャンネルを観る。何やら野茂の写真が出てきて色々言っているが、何を言っているかわからない。コマーシャルではNFLダラス・カウボーイズのQBトロイ・エイクマンが登場し、防具なしでフットボールをしている。で見事QBサックを受けるが、その相手がなんとお色気たっぷりの金髪女性。タックルの後見つめ合って、何やらいい雰囲気になるのか、と思わせておいて、すぐ次のプレーに。エイクマンは「同じプレーを」とコールし、敵チームに視線をやる。その視線の先には虎視眈々とエイクマンを狙う先ほどの女性LBが…。というものがアメフト好きの私の目を引く。アメフトといえば、スーパーを制したベテラン・エルウェイがニュースに出てきた。どうやら来季も現役を続行するらしい。何はともあれ嬉しい限りである。CMでもう一つ印象深いのが、Army(陸軍)がCMをしていたこと。内容はわからないが、恐らく日本で言うなら「自衛官募集」というCMをお茶の間のテレビに流すような物であろう、と思われる。論評は避けるが、日米の大きな違いの一つを見た思いであった。テレビもそこそこにバスタイムとしゃれ込み、旅の疲れを癒すことにする。このホテルはバスタブと別にシャワー用のスペースが区切られてあり、大変使いやすかった。こちらのホテルには浴衣はないが、代わりにバスローブなどというハイカラな物に身を包み、先ほどのシャンパンを開けて本当に長かった5月31日に別れを告げながら乾杯し、波乱の初日は終わった。
明けて6月1日、電話の音で目が覚める。前日頼んでおいたモーニングコールか、と思ったが、違うようである。嫁の従兄弟に国際結婚した人が居てその奥さん(Jさん)の実家がロサンゼルスの郊外にある、というので厚かましいと知りつつ一日観光に付き合っていただくようにお願いしていたのだが、そのお父さんから「今から出るよ」という電話であった。彼らは日本語は「こんにちは、さようなら、ありがとう」程度であるが、こっちには某女子大学英米文学科卒業にして某英会話スクール通学中のWIFEが居る、ということで安心しきっていた(^_^;)。まだ時間がある、ということでしばらくうたた寝をしていると、今度は正真正銘のモーニングコールがかかってきた。こちらの(少なくともこのホテルでは)モーニングコールはテープではなく肉声で、「朝でっせ、そろそろ起きなはれや」というだけではなく「今日はええ天気でっせ〜。空なんかもう真っ青でんがな」というような事も言ってくれるらしい。なにぶん実際に電話を取ったのは嫁の方なのであくまで伝聞であるが…。朝の準備を始めながらとりあえずTVをつける。チャンネルは相変わらずESPNである。昨日から気になっていたのだが、やたらと野茂が話題にのぼっている。写真が出るからわかるのだが、何を言っているのかは全くわからない。日本を出る前にドジャースから出るという噂が流れ、一旦ポシャったが、その関係の事なのだろうか。翌日にはドジャースのゲームを観に行く予定にしていたので、「できるなら野茂が見たい」といっていたのだが…。朝食は頂き物のイチゴですます。そろそろ時間だということで、下におりロビーに向かう。途中新聞を売っていたので、日本語の朝日新聞を買ったが、3ドル位取られたように記憶している。はっきり言ってボッタクリだと思ったが、地元紙のロサンゼルスタイムスは1ドルしなかった。大変リーズナブルである。でも多少ボッタくられても日本語の新聞を求めてしまうのが語学力のない悲しさである。野茂の情報もここで多少得ることができた。
ロビーでしばらく待つと一見して好々爺の米国人夫婦が現れる。遠いながらも親戚となった、G夫妻である。「初めまして」っちゅうことで挨拶と握手を交わし、日本から持ってきたお土産を差し上げる。Jの結婚式の時の写真とそれを入れるための日本風のアルバム、扇子、播磨屋のおかき(塩味の豆入りの餅を焼いた物)を贈った。挨拶が終わると、おじさんが各種パンフレットを取り出し、今日どこに行きたいかを尋ねて下さった。そこで、少々遠いができればシーワールドに行きたい旨を伝えると、快諾してくれた。車で2時間ほどかかるらしいが、途中Jの実家であるおじさん宅やおばさんの実家にも立ち寄れるし、運転は全くノー・プロブレムだということでお言葉に甘えた。また、食事はどんなのが良いか聞かれ、イタリアンとかフレンチとかも選択肢に入れてくれていたが、せっかくアメリカに来たのだから、ということで迷わずアメリカンがいいと答えた。するとおじさんも意図するところを理解してくれ、typicalAmerican-style を追求していただいた。それが、大変嬉しくもあったが、苦しくもある、ということを知るにはもう何時間かを経なければならない。Jは大変親想いな子で、まめに両親や祖父母とFAXを利用して連絡を取っているようである。我々の結婚式の模様もつぶさにレポートされていて、おばさんはそのFAXを見せながら、「神道で結婚式をしたんだってね」とか、「楽しかったって言ってたよ」とか言ってくれた。我々に気を使ってかなりスローに話してくれているが、それでもなかなか理解できない場面が多かった。話すことよりまずヒヤリングだなぁ、と痛感した次第である。車まで案内してくれたところで、先ほど渡したプレゼントを開けて、中身を見られた。こちらではプレゼントはもらったときに開けるのが風習であるが、歩道のど真ん中で、「細かい作業は苦手なの」と言いつつ、豪快に包装紙をビリビリと破いていかれた(^_^;)。写真、アルバム、扇子はことのほか喜んでいただき、特に扇子は「ちょうどよかった、暑いのは苦手なのよね」とおばさんが早速仰いで満足そうにしておられた。播磨屋のおかきはさすがに食べるわけにも行かなかったが、あの塩味は舌にあっただろうか…。
白いフォードに乗って、さあ出発となった。フリーウェイを南へひた走る。「フリーウェイ」は文字通り「無料道路」である。時間帯もよかったのか、結構空いていた。こちらのフリーウェイは変わったレーンがあって、一番左端(米国では車両は左側通行なので日本で言う追い越し車線)のレーンは「多人数車専用」なのだそうである。2人以上(ところにより3人以上)乗っている車だけが走れるわけで、このレーンはさらにスムーズに流れていた。交通マナーは思ったより格段によく、1人しか乗っていない車がこの車線を走っているのは見なかった。もっとも後で聞いた話だが、交通違反をすると法外な反則金を取られるので、誰もしないというのが実状らしいが(^_^;)。しかし、香港では『自動車優先社会』であったのに対し、こちらでは日本同様『歩行者優先社会』であったのには安心した。さて、アメリカ人といえば特に家族を大切にする。日本の場合、ちょっとニュアンスが異なり「家族」でなく「家」を大事にする。もちろん家族も大切にするが、決して前面に押し出すことはせず、逆に「愚妻」などと謙遜するのが美徳とされている。アメリカ人は逆に家族の写真を持ち歩き、初対面の人には写真を見せながら家族の自慢をする、という習慣があるように思う。このG夫妻も例外ではなかった。おばさんがおもむろに何葉かの写真を出して見せてくれた。これがまた、実に子沢山である(^_^;)。しかも、7人(8人だったかな)兄弟中男の子がたった一人だけであった。「これがJだよ」とか言いながら一人一人紹介してくれた。G家は音楽好きなようで、兄弟全員がピアノを弾き、その上クラリネットだのフルートだのいくつかの楽器も演奏できるらしい。「ところでヒデオは何か演奏できるの?」と聞かれ、我が意を得たり、というわけで「大学時代にテューバを吹いていました」と答える。また、その大学時代に演奏旅行でアメリカを訪問したこと、その時訪ねたのが、ダラス、ラスベガス、フェニックス、ロサンゼルス、シアトルであること、ロサンゼルスではディズニーランドの城の前でドリル演奏したこと、などをたどたどしく話した。ちなみに嫁は「ピアノを少々」と答えていたが、「じゃあ、今度是非私に聞かせて欲しい」と言われ、「じゃあ、猛練習しなくっちゃ」と冷や汗をかいていた。ま、その点「チューバの演奏が聴きたい」って言う人は余程奇特な方と言わざるを得まい。
おじさんには予めFAXモデムのケーブルのことも相談していた。ドライブの途中、目星をつけてくれた店に寄ってもらう。「CompUSA」とか言った洒落のきいた名前の結構大きな店であった。おじさんが店員と交渉してくれたが、やはり無かったようだ。途中「これが我が家だよ」といって家の前を通る。「お腹は空かないか?」と聞かれるが、少々遠慮も働いて「大丈夫です」と答える。そこで昼食は後回しとなり、おばさんのご両親の家に行くことになる。
しばらくドライブした後、海のすぐ近くにある家を訪ねた。アメリカ人の年齢というのはわかりにくいものであるが、間違いなくおばさんより年上であるから(^_^;)、相当なお年であろう。しかし、健康そうで悠々自適の生活を送られているようであった。自己紹介をし、握手を交わす。G夫妻の時もそうであったが、私のファーストネームである”Hideo”は野茂と一緒と言うことで非常に覚えてもらいやすい。ここでも「Are you pitcher?」などと聞かれた(^_^;)。ここでダイエットコークをご馳走になり、トイレを借りる。応接間には家族の写真がいっぱい飾ってあった。Jの結婚式の写真もあった。ここでもJとは、定期的にFAXで連絡を取っているらしい。今夕に送るから、ということで我々もJにメッセージを書かせていただいた。最初無理して英作文をしていたが、よく考えたら日本語で書いても大丈夫なので(^_^;)、途中から日本語でメッセージをしたためておいた。
窓からは太平洋が見え、大変風光明媚であったが、家の前で何かの工事をしていたのが、少々邪魔であった。浜では初夏とはいえ十分暑かったので、何人か海水浴に来ていた。浜の手前にはカナダへと通じる鉄道の線路があり、踏切、砂浜で戯れる金髪の少年、青い海、という光景は絵はがきにでもありそうな景色であった。記念撮影をした後、厚くお礼を述べて次の目的地へ向けて出発した。