新ホロコースト記念館建設に思う

 新記念館は、今日までの12年間の活動を基に、より充実した教育施設をめざし現在建設中である。見学者は今日まで国内外から子どもを中心に8万人となった。
 ホロコーストの最も痛ましい事実は、「ただユダヤ人として生まれた」との理由で150万人の子どもたちが犠牲となった点にある。
 
 その中にドイツで生まれ、オランダの隠れ家で逮捕され、収容所を転々とし15歳と9ヶ月の命を失ったアンネ・フランクがいた。父オットーは、家族でただ一人奇跡的にアウシュビッツから生還した。1971年、イスラエルで奇跡的にアンネの父、オットー・フランク氏と出会った。その後10年間続いた交わりで、氏から恨みや憎しみの言葉を聞いたことはなかった。ホロコースト記念館は、「平和をつくるために、何かをする人になって下さい。」とのオットー氏の願いに応えたものである。
 「なぜ人間はお互いに仲よく暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう」(1944年5月3日)
 娘アンネが書き残った日記帳が父オットーに手渡され、氏は徐々に落胆から立ち直っていった。そして3年を経てアンネの日記は公開された。今年はオランダ語で出版された初版、「後ろの家」の出版60周年に当たる。今日まで50の言語に翻訳され2500万冊が出版された。

 晩年スイスに住んだオットーは、「今日もアンネの仕事をしよう。わたしは世界の人々がアンネの日記を読んで、逆境にあっても決して勇気を失わないよう、希望のメッセージを伝えることに自分の余生を捧げよう。」と娘の遺志を受け継ぎ、世界中からの子どもたちの手紙に返事を書き続けていた。

 新記念館では、より身近に、歴史の事実を共感してもらいたいとの願いから、「アンネの日記」が記された部屋が再現される。アンネのいとこにあたる、バディ・エリアス氏から贈られた、オットー氏愛用のタイプライターをはじめ、フランク家にかかわる品々なども10月2日から公開される。このタイプライターは、「アンネの日記」の編集などに使用された貴重なものである。
 新ホロコースト記念館は、訪れる人たちが過去を知り、未来をひらく教育センターをめざしている。この新記念館を日本中、また世界の若者たちが訪問し、平和について考え、行動するセンターとなることを心から願っている。
2007年6月
ホロコースト記念館
 館長 大塚 信