「平和をつくるために」
オットーさんと出会って40年

ホロコースト記念館
 館長 大塚 信

 今年、アンネの父であるオットー・フランク氏と出会って40年を迎えました。
 それ以来、フランク家との親しい交わりは今日まで続いています。
 「どうしてこのような暖かい家族が、ユダヤ人というだけの理由で引き裂かれてしまったのか。なぜホロコースト〈600万人のユダヤ人大虐殺、〉が科学・文化・教育が盛んであった文明国から起こったのか。」今日まで問い続けてきました。
  
 みなさん。アンネの15年の生涯(1929〜1945)が、そのままナチスの台頭、ユダヤ人のホロコースト、そして第2次世界大戦と重なっています。
  
  「アンネは、どこにでもいる、好奇心が旺盛で、将来の夢を抱き、豊かな自然にあこがれていた、普通の女の子でした。」とアンネを知る人たちが語ってくれました。
 
 今から約65年前、彼女がアムステルダムの隠れ家で日記を記していたとき、日本を含め、世界の26カ国が参戦し、一般市民だけでも3000万人以上の犠牲者を出した、世界大戦が広がりを見せていました。その混乱に乗じて、ナチス・ドイツが目指したユダヤ人の絶滅・ホロコーストがヨーロッパ、ロシア地域で同時に進められていました。
  父オットーは、アンネがかねてから欲しかった日記帳を、13歳の誕生日に贈りました。その直後、彼女はアムステルダムのプリンセンフラハト263番地にある、父の事務所の「後ろの家に」移り住みます。
  密告されないかとの不安、8人の住人の葛藤、夜に降りそそぐ爆弾の恐怖、淡い異性への目覚め、よどんだ空気の中から、窓越しに迫っているマロニエや木や、西教会の鐘の音は、彼女に希望と励ましを与えてくれました。
 やがてアンネは、その閉ざされた空間の中で、人間の争いの原因となる、破壊と殺人の本能が、全ての人間の心に存在する事に気づいていきます。
 
 「いったい、そう、いったい全体、戦争がなにになるのだろう。なぜ人間は、おたがい仲よく暮らせないのだろう。なんのために」(アンネの日記:1944年5月3日)
  
 後にオットー氏が驚くほど、物事を深く見つめる少女へと成長していきました。
 しかし彼らの希望は無残に断ち切られて、収容所へと送られ、隠れ家に住んだ8人の中で生還者はオットー氏ただ一人でした。
  
 オットー氏は戦後、失意の中から立ち上がり、娘の残した「アンネの日記」の発刊に力を尽くします。
  「アンネの日記」は、現在世界記憶遺産となり、世界で最も読まれ続けている10冊の本の1つに数えられています。
 アンネの日記には、憎しみが込められていません。ですから今も色あせない平和のバイブルとして、人種国境を越えて人々に共感を呼び起こしています。
 
 戦後まもなく、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」と国連の科学文化機構、ユネスコは憲章の前文で表しました。
 人が人に行った破壊と殺戮の歴史の中で、人類は何を学び、未来への教訓とするのでしょうか。
 アウシュビッツからの生還者オットー氏は、終生分け隔てなく、世界の若人たちに、「ただ同情するだけではなく、『平和をつくるために何かをする人』になって下さい。」と訴え続けていました。寸暇を惜しんで手紙を書き続け、平和のために働いておられたオットー氏の高貴な姿が甦ってくるのです。

 日本にも、アンネの形見のバラや、家族の貴重な資料を集めて、アンネ生誕50年を記念し兵庫県西宮市に「アンネのバラの教会」が建設されました。
 戦後50年の1995年、広島県福山市にホロコースト記念館が建設されました。この記念館はアンネをはじめ150万人の犠牲となった子どもたちをテーマとし、学校の社会見学や修学旅行生など10年間で8万人の見学者が訪れました。
 また記念館の10周年にアンネのいとこである、バディー・エリアス氏夫妻がスイスから駆けつけ、「アンネとオットーがどれほど喜んでいる事でしょう。」と語られました。
 そして新ホロコースト記念館のために、オットー氏が日記の編集のために長年使っておられたタイプライターや、アウシュビッツ収容所解放直後、スイスにいる親族への手紙や、家族が愛用していた家具など多数を贈呈くださいました。
 アンネ・フランク財団の会長でもある、バディーさんの惜しみない援助は続けられ、アンネが隠れ家から見ていたマロニエの若木が、今年国連が定めたホロコースト記念日〈1月27日〉に、80名以上の子どもたちと共に植樹されました。
 
 アンネは、「全人類がひとりの例外もなく心を入れかえるまでは、けっして戦争の、絶えることはなく、それまでに築かれ、培われ、はぐくまれてきたものは、ことごとく打ち倒され、傷つけられ、破壊されて、全ては一から新規まきなおしに始めなくちゃならないでしょう。」  (1944年5月3日)
と語り続けています。
 みなさんもこの機会に、「平和のバイブル」といわれる、アンネの日記を開いてみてください。そして福山のホロコースト記念館をぜひ訪れ、「平和のためにわたしに何ができるのか」、アンネや当時の子どもたちの姿を通して考えてみてください。
  「平和をつりだそう、小さな手で」