ホロコースト記念館にはアンネのバラが育っています。このページでは随時アンネのバラの様子をご紹介しますので、お楽しみに!
2006年アンネのバラの接ぎ木講習会
開催しました!
☆アンネ・フランク財団(スイス・バーゼル)に
アンネのバラを贈呈しました!
(2006年1月26日)
ホロコースト記念館花壇に植えられているアンネのバラの様子
2006年
2003年
2003年1月25日に、ホロコースト記念館で「アンネのバラの接ぎ木」をしました。
接ぎ木したバラがどのように育っていくのか皆さんに紹介致します。
2003年
『アンネの日記』の作者、ドイツ生まれのユダヤ人少女アンネ・フランクは、1945年3月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で15才と9ヶ月の生涯を終えました。
アンネの無事を祈りながら帰りを待っていた、父・オットー・フランクさんに新種のバラが贈られてきました。そのバラは、アンネをしのんで『アンネ・フランクの形見』と名付けられていました。
1971年4月4日、日本の合唱団とオットー・フランクさんとの偶然の出会いがありました。翌年のクリスマスに10株の『アンネのバラ』の苗木が贈られてきました。その内、1株だけが京都で根付き翌春、日本で初めて花を咲かせてくれたのです。
1975年、オットーさんは再び10株の苗木を贈って下さいました。それらは現在、日本全国で平和のシンボルとして美しく咲き香っています。
ホロコースト記念館では、子どもたちのボランティア・グループ「Small Hands」が毎年接ぎ木をして、増やしています。また、アンネのバラを育て、平和学習に用いたい団体には贈呈も行っています。
<アンネのバラ>
原名:Souvenir d'Anne Frank (スーヴニール・ドゥ・アンネ・フランク)
アンネ・フランクの形見
出年:1960年 作出者:Delforge 作出国名:ベルギー
特徴等:丸弁の盆状咲き。花径は6〜8cmで、重ねは15〜20弁。花色は黄色からオレンジを帯びた赤に変わる。5〜8輪の房咲き。香りは少ない。