飛翔編
風車の戦略思想の根幹は、多数を持って少数を討つという各個撃破であり、
可能な限りの全戦力を前線に投入することをもって本領とする。場合によって
は玉が最前線に出ることも厭わない。それは「銀英伝」の中の戦争に於いても、
将棋の原点である、古代、中世の戦争、においても、さして意外な作戦ではな
い。
「銀英伝」のストーリー中、ヤンの立て篭るイゼルローン要塞(=穴熊)に
対し、ラインハルトはこれを無視することによって戦略的に勝利し、ヤンはこ
の要塞を放棄することを余儀なくされた。この戦略的勝利による穴熊の無効化
こそ、私の描く理想なのである。
さて、長々と論じてきたにも関らず、戦術上の勝利によって戦略上の敗北は
本当に覆しえないのだろうか?また、少数が多数に勝つ道はないのかと疑問に
思う人は多いだろう。そう、もちろんその疑問は正しいのである。
ここでふたたび「銀英伝」に戻る。
「少数をもって多数を破るのは、一見華麗ではありますが、用兵の常道から
外れており、戦術ではなく記述の範疇に属するものです。」「勝敗などという
ものは、戦場の外で決まるものです。戦術は所詮戦略の完成を技術的に補佐す
るものでしかありません。」「戦略的条件が互角であれば無論軍人の能力は重
要です。ですが多少の能力の差は、まず数量によって補いがついてしまいます。」
「戦いは数でするものではない、などという考えは数を揃えることのできなか
ったものの自己正当化に過ぎません。」「少数が多数に勝つというのは異常な
ことです。それが目立つのは、正常人の中にあって狂人が目立つのと同じ理由
からです。」
これらは全てヤンの言葉で、ここまでの私の理論はこのヤンの言行に基づく
ものが多い。ヤンというのは矛盾に満ちた人物で、自らこれほど数と戦略の重
要性を強弁しているにもかかわらず、帝国軍に対し、常に数と戦略の上で劣勢
であるのに決して敗れることはないのである。
少数が多数に勝つ方法とはなにか?「銀英伝」の中で最初に出て来る会戦で
あるアスターテ会戦を見てみよう。
ラインハルト率いる帝国軍二万隻に対し、同盟軍は左から第二艦隊一万五千、
右から第六艦隊一万三千、中央から第四艦隊一万二千、計四万隻をもって包囲し
つつあった。この状況においてラインハルトの採った戦術はまず急進して第四
艦隊を突破し、反転して第六艦隊を背後から破り、最後に第二艦隊と戦うとい
うものであった。
次にバーミリオン会戦を見てみよう。この会戦の時点において帝国軍が十万
隻以上の戦力で同盟領内に侵攻して来たのに対し、同盟軍には、もはやヤン・
ウェンリー率いる一万数千隻の戦力しか残っていない。
ヤンは、この戦力上の不利にもかかわらず次々と戦術上の勝利を重ね、幾人
もの帝国軍の名将を撃破した。しかし、ヤンはこのような各個撃破の積み重ね
でこの戦略上の劣勢を覆そうと考えていたわけではない。ヤンの真の狙いは、
ラインハルト自らの出馬を促しこれを各個撃破すること、すなわち将棋でいえ
ば玉を詰ますことであったのである。
ここまでくれば明らかである。つまり少数の戦力を活か
すにはさらに少数の敵と戦うのが唯一の道であり、それが最も効果的なのが
”玉”の各個撃破なのである。
風車は全戦線に渡って好きの無い陣であるが、逆に隙だらけの陣とみなすこ
ともできる。風車は兵力を広く展開させすぎており、兵力の集中において劣っ
ているのである。
将棋に負けは付き物。しかし、藤田は生涯最も手痛い敗北を風車で喫した。
今回は盤面はなし。楽かと思ったら文章が長くてくたびれた。
ここに書いてあるのは今思えば当たり前のことである。しかしながら、
こうした当たり前のことを実行するのは結構難しいものである。