黎明編
私は現在受けの棋風とみなされているが、これは私が、通例、攻めあいよりも相手の攻めを受けきることを好むからである。だが、私も昔からこのような棋風であったわけではない。少なくとも現在と比較すれば、むしろ攻勢に重点をおく棋風であったのである。
中学時代まではそれと知らず、高校時代はそれと知りつつも私は無理攻めが好きであった。現在ではとても想像ができないが、「得意の無理攻め!」が私の口癖であったのである。初段前後の将棋では無理攻めでも結構通用してしまうことは多い。しかしながら、それまではそこそこの戦績をあげていた私の前に出現した強敵こそが、居飛車穴熊に代表される居飛車側の持久戦策であった。これに対して無理攻めを敢行することは自殺に等しい。それまで戦術上の課題を、飛車を敵陣に侵入させることのみに限定してきた私は弱り果てた。
急戦を挑んでみてもうまく行かない。仕方なく相穴熊を指すようになったものの、居飛穴と同等の堅さを獲得するのは容易でなく、主導権もないのでは面白くない。
居飛穴恐怖症に陥った私は、千日手によって居飛穴を滅亡させるべく、ついに風車を採用するに至った。居飛穴を崩すのに比べれば千日手ぐらいなんでもないように思えたのだ。
当初、受け一方の戦法として採用した風車であったが、実戦を重ねるにつれ、強烈な反発力も合せ持っていることが解ってきた。隙があれば、左翼のどこからでも攻勢をかけることが可能であるし、左翼が支えきれなければ、端に転戦することもできる。
この風車の戦術的有用性の認識は容易であったが、風車の戦略的意義に思いをいたすまでには、さらに時間を要した。
きっかけとなったのは、高校時代の部内リーグ戦最終局、部長のT氏との一戦であった。3位を賭けた一戦で、私もT氏も負けるわけにはいかなかった。私の居飛穴嫌いを知り抜いているT氏は迷わず居飛穴にしてきた。T氏との前の対局で風車で勝っていた私は、再び風車に命運を賭けることにしたのであった。
自らの命運を風車なる変な戦法に託した藤田。藤田は無謀にも居飛穴に対し飛車交換に討って出る奇策を敢行する。果して藤田の奇策の真意は!?