「ガチャ文考」考

インターネット青葉譜創刊にあたっての寄稿文

平成2年卒 藤田 勉


 ”「ガチャ文考」考”、これはいつか青葉譜に載せるために書きたいと思っていつつも、将棋には直接関係ないこともあり、結局は書かなかった内容である。この文章は今後のこのページの編集方針の指針案として、自戒の意味も込めてこの機会に発表するものである。



 私はずいぶん長いこと将棋部の部室に出入りしていた。思い起こすとこの間様々なことがあった。幾多の楽しい思い出があるが、あまり思い出したくない大きな失敗もいくつかある。
 最も大きな失敗として記憶に残るのは、もちろんS62年の地区大会の敗戦である。実力を出しきって敗れたのであれば仕方が無いが、あの敗戦は各人の精神状態にもっとも大きな要因があったものと感じている。当時の部長たる私が精神状態を変えるべく何とかすべきであったのであるが、それに気付いたときは後の祭りであった。
 しかし、これについてはこれ以上書くつもりはない。当時の反省をもとに現在では大きく部内の制度も変っている。同じ過ちは2度と起こらないと思う。
 ここで私が語りたいのはもっと個人的な失敗に関するものである。


 あるとき私は青葉譜編集長から原稿の掲載拒否にあった。この文章はとあるトラブルが生じた際に、一つ問題提起をしたいと考え書いたものであった。掲載拒否にあって、あらためて読み返してみると、トラブルが生じてまもなく気分が荒れた状態で書いたせいか、確かに問題がある内容も含まれている。
 私は大幅削除して再度編集長と交渉した。結果は即座にノーである。

 この編集長は、先輩である私の原稿を掲載拒否するにあたって、相当な覚悟でのぞんでいると感じられた。なぜだろか?
 このときふと脳裏に浮かんだのが”ガチャ文考”である。
しまった!
 私は、慌てて原稿の撤回にかかった。編集長が有能で助かった。危ないところだ。もしあのまま掲載されてたら、ずっと後悔していたことであろう。
 この編集長は、かねてから皆の信頼が厚かったが、この出来事によって、私はその見識をさらに高く評価することとなった。



 ”ガチャ文考”とは、私が最も敬愛する人物である平井和正が書いたもので、熱心なファンには有名なエッセイである。(ちなみに、私が平井和正のどのくらいのファンかというと、浪人時代、将棋はやめても平井和正の小説を読むことはやめなかった、ということを考えると容易に推測できるであろう。(^^;)
 平井和正という作家は、私にとっては非常に残念なことに、あまり一般受けする作家ではない。しかしながら、そのファンの多くは非常に熱心であり、おそらく、作家個人に関するファンクラブを、歴史上最も多く持った作家ではないかと思う。しかし、平井和正のファンクラブに限らず、ファンクラブというものは、いずれたいがい崩壊してしまう。"ガチャ文考"は、平井和正のファン向けに書かれた、ファンクラブ崩壊過程に関する文章なのである。

 ”ガチャ文考”によれば、ファンクラブ崩壊はその会誌の内容に深く関与している。
 会誌には、ときおり”ガチャ文”が出現する。”ガチャ文”の定義は難しいが、簡単に言えば、ようするにガチャガチャした印象を受ける文章、読んだときにいやな印象を与え暗い気分にさせてしまう文章である。
 ”ガチャ文”は比較的容易に発生する。例えば、腹を立てたときなどに書かれた文章はたいがい”ガチャ文”になってしまうといってよい。私はあまり腹を立てない人間であるが、それでも2〜3年に1回はひどく腹を立てることがある。先の文章は腹を立てたときに書いた、まさしく”ガチャ文”であったのだ。
 ”ガチャ文”は単独ではどうということもないのであるが、刺激的な文章であるため反響を誘起し、増殖現象というべきものを起こしやすい。ファンクラブの会誌といったものでは、容易にこの増殖現象が生じ、会誌は徐々に汚染され、ついには”ガチャ文”が主体となってファンクラブ自体の崩壊へとつながる、というわけである。

 こうした崩壊を未然に防ぐには、編集者の高い見識が必要である。
 私のみるところ、歴代の青葉譜の中に”ガチャ文”はごく少ない。先の編集長をはじめとして、歴代の編集長の見識が優れていたためであろう。

 私はこの”インターネット青葉譜”についても、本家の青葉譜にあやかり明るく楽しい内容で埋まって行くことを願っている。この願いをもって、長年言いそびれた薮上君への感謝の言葉としてかえさせていただきたい。



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