第7回コンピュータ将棋選手権観戦記
日程 1997年2月8日(土)〜9日(日)
場所 千葉県浦安市舞浜
シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル&タワーズ
藤田が会場に赴いたのは9日の10時ごろ、本戦の第2戦目が終った直後であった。
会場の入り口でばったり山下氏と出くわすと、事前にはっきりとは予告していなかったせいもあり、山下氏は大変に喜んでくれた。その喜びようを見た藤田は、山下氏が予選で神経をすり減らしていた前日、別件で寿司をたらふく平らげていたことは、特に伏せておこうと決意した。(^_^;
ここまでYSS 7.0は、写真に示すように予選から9戦全勝、しかしながら上位3強との対決はまだこれからであった。
今回のYSSはこれまで以上の意気込みが見受けられた。マシンはAlpha 500で、Pentium Proを遥かに凌ぐ高性能マシンとのこと、WIndows NTをOSとして動かしていた。
基本戦術は角換りを主体とし凸矢倉で玉を固め強く戦うというもので、山下氏らしい思い切った作戦選択である。
最初の山場は対柿木将棋戦。YSSは柿木将棋の打ち込んできた角を捕獲しようとして失敗、歩損により不利に陥った。ここで、YSSはじっと銀を引いて玉を堅めにでた。その後、柿木将棋も誤り、形勢はすれすれ、息を飲む戦いとなった。柿木将棋も実に強いソフトで驚いたが、もっと驚いたのがYSSが随所で渋い受けの手を指すことで、結果はYSSに幸いした。時間配分良否とマシン性能の差も大きかったが、YSSの受けの手は光ってみえた。
そして迎えるは運命の本戦第6戦目、いよいよ5連覇中の金沢将棋との対戦である。
山下氏は密かに金沢将棋の振り飛車を恐れていたようであったが、金沢氏もYSSの居飛車穴熊を恐れ、戦形は相居飛車となった。
金沢将棋は矢倉から5五銀とYSSが腰掛け銀にする切っ先を制す奇策にでた。これによってYSSは駒組の制約を受け、金沢将棋の仕掛ける罠にはまった。
上部からの鋭い攻撃を受けYSSの陣は崩れ、たちまち不利に陥った。幸い、一手の緩手に助けられ、攻めのスピードを緩和したが、形勢は依然として変らない。
今回のYSS 7.0の特徴は、このように不利になった局面での指し手である。人間なら一縷の望みを託して反撃に出るところだが、もはやコンピュータは、簡単なミスは犯さない。だから、対コンピュータ戦での最善手は、第1に明確な損となる手を消しにかかること、そして、驚いたのは、第2に遊び駒の活用を図ってくることである。ここでもその特徴がでた。じっと遊び銀を引き戻し隙を消すとともに活用を図るYSSに、決め手が見つからない金沢将棋は自ら玉頭にキズをつくる疑問手を指す。これをきっかけにYSSに流れが傾いた。
YSSは金沢将棋の飛車を召し捕るが、金沢将棋は依然として攻勢、金銀を駆使してYSSに飛車、銀の両取りをかける。ここでまたYSSに好手がでた。正解は、飛車、銀、どちらも放置しての入玉!!!飛車を切ろうとすらしないYSSの終盤の判断力はすでに有段クラスである。
以下もぎりぎりの攻防が続くが、ついに金沢将棋は戦力が尽き、ノータイム指しによる詰め将棋が始まった。
最終戦の相手、森田将棋は既に2敗しており、この時点でYSSの優勝が決まった。山下氏はハンカチを取り出して目を押さえていた。藤田はカメラのシャッターをきろうとしてきれず、投了図の方の撮影を行った。
最終戦、山下氏の長年の目標であった森田将棋はYSS 7.0の前に全く歯が立たず、YSSの快勝譜となった。
その夜、山下亭で祝杯をあげつつ、藤田は2枚落ちでの対局を試みた。
序盤戦は弱い!たちまち敵陣の半分を押さえこみ、飛車を召し捕りにかかる。まだこんなものかと思ったのは甘かった。YSSは飛車を押さえ込まれたことに全く動揺せず(当たり前だが(^^;)手薄な玉頭に攻めかかってきた。矢倉や銀冠から7筋で継歩する筋は、有段者でもなかなか知らない手筋だが、YSSは自力でこれを発見、たちまち混戦になった。
たぶん、強引に飛車を殺しにいったのが失敗だったのであろう。藤田は敗れた。
勿論、AI将棋の次期バージョンを買おうと思ったことは言うまでもない。