第八話
Open my heart
後編:最終話
シンジは叫んだときの姿勢そのままで、ぴくりとも動かない。
カナエとシンゴは、シンジの行動があまりに唐突だったため、呆気に取られてぽかんと口を開いている。
しかしシンジは周りの様子をまったく気にすること無く・・・・・というよりも、シンジの目にはトウジしか映っていなかった。そしてその漆黒の瞳は、しっかりとトウジの目を射抜いていた。
『!!・・・・・』
トウジは驚いた。
昔に比べると人の顔色を気にしたり、おどおどすることの無くなったシンジ。
だが、普段の彼は人前で感情を激高させるようなことはまず無いし、時には線の細ささえ感じる彼のやさしさは、決して自分には縁の無いものだ。そしてそれはトウジにとっては、シンジのもっともシンジらしいと思えることでもあった。
いま自分の目をしっかりと捕らえているシンジは、彼の知っているシンジではなかった。
『シンジが・・・・わいを・・・・・・・・怒鳴りよった・・・・・・・・・・・・』
次の瞬間、突然トウジの心に流れ込んでくるシンジからのイメージ・・・・・・・・
どくん どくん どくん どくん どくん どくん!
そして開放されるトウジの心
「ふ・・・・・・・・・シンジのあほんだらが・・・・・・・・・・・・・」
「言うてくれるやないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
スカイホークスの神崎がサイドラインからパスを投げ入れた。
手を離れたボールが6番の佐紀の方に向かっていった瞬間、突如、佐紀の後ろから現れたトウジがボールを奪い取った。
それはこの試合のなかで佐紀が犯した、ただ一度だけのミスプレーだった。
試合の残り時間もあとわずか。あとは逃げ切るだけだ。
そのちょっとした気のゆるみが、トウジのつけいる隙をつくってしまった。
神崎がボールを投げたときに、彼の視線をトウジがずっと追っていたのを気づくことができなかったのである。
「しまった!!」
と思ったときには、すでにトウジは織田にパスをまわしていた。
残る時間は62秒。
「やったぜ!ナイスだトウジ!!!」
拳を振り上げた瞬間、ケンスケは愛用のニコンを思わず落としそうになった。
「「兄ちゃん!!(先生!!)」」
シンゴとカナエはユニゾンを展開していた。
「「!!!!」」
レイとヒカリは息を呑んだ。
シンジは姿勢を崩さない。
しかし手すりを堅く握り締めた彼の左手の上には、アスカの右手がそっと重ねられていた。
残りはあと57秒。
「監督!!」
「うむ。」
ベンチのミキは風間が大きく肯いたのを確認した。
「全員、死んだ気で動け!!」
パスを受け取った織田は、コート上のタイガーシャークス全員に檄を飛ばす。
実は彼自身、この試合を半ば諦めかけていた。
そこへトウジの予想外のプレーが出た。
これで火が点かないわけが無い。
そしてそれは、他のタイガーシャークスの選手にも飛び火した。
「くそ!無駄なあがきをっ!」
土壇場で反撃されたスカイホークスの神崎も、自らのチームを叱咤する。
佐紀の表情にも優しさが無くなった。
この状況を作ってしまったのが他の誰でもない、自分だったからだ。
彼は全力でトウジを追撃した。
試合終了まであと51秒。
タイガーシャークスはコートに展開すると、必死にパスをつないだ。いままでの状況からして、下手に攻めていてはスカイホークスの鉄壁のガードを崩すことはできない。くわえてもう残り時間はほとんど無い。そして少しづつではあるが、タイガーシャークスはじりじりとゴールへと近づいていった。
スカイホークスもこのまま黙ってみているわけじゃない。今日は来るべき国体の選考会だ。それもここ第3新東京市で開催される、記念すべき大会である。なんとしてもタイガーシャークスを倒して県大会へと進まなくてはならない。そして本大会で勝ち抜くためにも、タイガーシャークスにはぶっちぎりで勝ちたいところだ。
以前のタイガーシャークス相手だったら、楽勝だっただろう。それをポッと出の関西野郎が、ことごとく邪魔をした。そこで持てる力を全部投入して、力の差を見せ付けてやったと思ったら、最後に突然息を吹き返してきた。自らのプライドにかけても、相手の息の根を止めてやらねば気が済まなかった。
お互い乾坤一擲の攻防
激しくぶつかり合う車椅子
ファールぎりぎりのプレー
電光掲示板は残り時間をどんどん削っていく。
激突する佐紀とトウジ。
『なんとしてでも・・・・・・、こいつには抜かせない!』
いまの佐紀にはこの思いしかない。必死の形相でトウジを止めに入った。
トウジもまた必死だった。
『このまま終わってたまるかい!!』
「ちくしょう、やっぱり簡単にはいかねえな・・・・・」
くやしそうにつぶやくケンスケの傍らで、レイはその想いの丈をこめて必死に祈った。
『鈴原君、お願い!碇君とアスカのために、洞木さんのために、奇跡を起こして!!』
ファーストチルドレンと呼ばれていた頃には、「奇跡」という言葉さえ考えたことはなかった。
奇跡を願うこと・・・・・・。それはレイにとって初めての経験だった。
終了まではジャスト40秒。
スリーポイントライン間際の攻防はいまだ続いている。
幾度となく繰り返されるスクリーンプレー。
佐紀はトウジをがっちりとブロックしていた。
『どうだ!抜けるものなら抜いてみろ!!!』
口には出さないが、プレーにはその意志がはっきりと現れている。
がきっっっっ!
トウジの車椅子が完全にブロックされた。
だがその瞬間、
「あんさん。奇跡っちゅうもんはな、起こしてみせてこそ、その価値がありますのや。」
す・・・・・と車椅子を後退させたトウジは、
「織田さん!!ボール!!」
パスを受け取り、シュートの姿勢に入る。
佐紀は両手をいっぱいに伸ばしてシュートを遮るが、トウジの目には、既に佐紀は映っていなかった。
視線の先にあるのは、床面から3.05メートル上にある1個のリングのみ。
さっ!
構えた瞬間、時が止まる。
そして重なる心の絆。
しゅっ!
トウジの手を離れたボールは、放物線とともに目標に向かう。
そのとき、
すとん
ヒカリの叫びに後押しされたように、ボールはきれいにリングを通過した。
ぴーっ!
「やった!スリーポイントだ!!」
高杉シンゴの拳が宙を舞う。
佐紀は猛然とボールをエンドラインまで取りに行く。
他のスカイホークスの選手達が、そのまま攻撃に移ろうとしたとき、トウジが叫んだ。
「だれも帰すな!全員マンツーマンや!!こっちの攻撃は終わってへんでぇ!!!」
トウジのポイントにより、得点は32:33。もしあと1ゴール決めれば逆転することができる。
ががががっっっっっっっ!!
再びゴールの下では車椅子が激しく交錯する。
佐紀からパスを受けようとするスカイホークス。
それを阻止して、もう1ゴールを狙うタイガーシャークス。
どちらも後には引けない。
「ならば神崎、走れ!!」
佐紀はそう叫ぶと、集団の中でもっともセンターラインに近かった神崎のはるか先にボールを投げた。
トウジの頭上を越えてボールが飛んでいく。
「くそっ!織田さん頼んまっせ!!」
トウジに言われるより早く、織田は神崎を追撃していた。
まさに神崎がボールに追いつき、織田がそれを奪おうとした刹那、
ふぁあああああああん
電光掲示板が時間のカウントを終了し、試合の終わりを告げた。
弾かれたようにボードの方を振り向いた、織田と神崎。
「終わったな・・・・・・・・・」
神崎は一言そういうと、ボールを織田に渡した。
そうして神崎はゆっくりと自分のチームの方へと車椅子を進める。
一方、後に残された織田は、しばしボールを手の上でもてあそんでいたが、膝の上にボールを置くとこれまたゆっくりとトウジのところへ向かった。
やがてセンターサークルに並ぶ両チームの選手達。主審のコールが入った。
「33対32。東海スカイホークス!!」
一礼の後は互いに健闘を称え合う。その中には、半ば放心状態のトウジの姿があった。
「おい、先生!どうした?」
「へ?あ、いや、べつに・・・・・・・・・」
緊張の糸が途切れたのだろうか、織田の呼びかけにもうわの空だ。
そこにするすると近づいてきた1台の車椅子。
「織田さん。また、ぼくらが行かせてもらいますよ。」
二人が振り向いたところには、スカイホークスの佐紀がいた。
「なんだ、おまえか。またやられちまったな。」
そういう織田もいまはさっぱりとした表情だ。
「なんだはないでしょう。ところで・・・・・・・、鈴原さんでしたっけ?」
急に自分の名前を呼ばれ、ここにやっとトウジは我に返った。
「へえ。ちごうた!はい!」
トウジの意外なリアクションに、佐紀はクスリと笑うが、その顔は最初に見たようにやさしい表情だった。
「きょうは楽しかったよ。また、やりましょう。」
そうして佐紀は右の手をすっと差し出した。
トウジもその手を握り返す。
「今度は負けまへんで。この借りは絶対返させてもらいまっさかいな。」
笑顔のまま、コク・・・と肯いた佐紀は、車椅子を反転させて自分のチームに帰ろうとしたが、そこに織田が声をかけた。
「おい佐紀!県大会で負けやがったら、ぶっ殺すからな!!」
佐紀はその声に振り向くこと無く、ただ後ろ向きのまま、右手だけをひらひらさせて織田に答えた。
「じゃ、おれたちも行くか。」
そして織田はトウジと連れ立って、タイガーシャークスのベンチへと帰っていった。
トウジがベンチで仲間の選手達と今日の試合をねぎらい合う様子を、ケンスケ、レイそしてヒカリの3人はコートの隅っこからじっと見つめていた。すでにヒカリの涙腺は臨界点を突破している。
「委員長・・・・・・・。」
「な・・・に・・・?」
ヒカリは目頭をこすり始めている。
「3脚・・・・・」
「あ・・・・ごめ・・・・ん」
やっとの思いでヒカリはケンスケに3脚を返した。そしてケンスケの言葉が紡がれる。
「行ってやれよ。トウジも待ってるぜ。」
「え?・・・・・・・・・・」
その横ではレイがやさしく肯いた。
「相田君・・・・、レイちゃん・・・・・、ありがとっ!!」
ヒカリはトウジのいるタイガーシャークスのベンチへと駆け出した。
そしてヒカリを見送ったケンスケは、
「さて、綾波さんよ。おれたちは外で待ってようぜ。」
「うん。」
ケンスケ達もバスケットコートを後にした。
「終わったね・・・・・・・・・・・」
シンジは大きくため息を吐くと、ここにきてやっと身体から力を抜いた。
「お疲れ様、シンジ。」
アスカはシンジの左手に重ねていた自分の右手を、今度はそのまま左の腕に絡ませると、コトンとシンジの肩に頭をもたれかけた。
「・・・・・・・・アスカもね。」
「・・・・・・・・鈴原のチーム、勝てなかったね・・・・・・・・・・。」
「うん。でも、トウジはよくやったと思う。」
「・・・・・・・ヒカリのやつも泣いてるね、きっと。」
「え?」
そっとアスカの方を伺うと、ブルーの瞳は涙にぬれている。
シンジはやさしく微笑むと、自分の腕にからむアスカの右手にそっと自分の右手を添えた。
その横から再び聞こえてくるしゃくりあげるような泣き声。
むろん鈴原カナエちゃんだ。
「うぇぇぇぇ・・・・ひっく・・・・・えぇぇぇぇぇぇん・・・・・・」
「あの・・・・・せんぱい・・・・・・・・・・・」
当惑しているのは、高杉シンゴ君。
先ほどは慰めることができたのに、今度は何故だか躊躇している。
そこにアスカの一言。
「カナエ、そうときはね、こうやってシンゴ君に胸を借りなさい。」
「え゛え゛?!」
シンゴが驚くより早く、カナエは彼の胸に飛び込んでいた。
そして、
「高杉ぃ・・・ありがとう・・・・うぅぅぅ・・・・今日まで・・・・兄ちゃんにつきおうてくれて・・・
ありがとぉ・・・うわぁぁぁぁ・・・・・」
「鈴原・・・・・先輩・・・・・・・・・」
シンゴは、今日初めて鈴原カナエという女の子が泣き虫だということを知った。
学校での武勇伝。
鈴原トウジと真っ向から言い争いをする(もっともヒカリやケンスケに言わせれば、それは『上方漫才』というものらしい)、関西弁の女の子。
どれも間違いなくカナエだけれど、いま自分の胸で泣いている女の子もまごうことなき鈴原カナエだ。
ただシンゴにしてみれば、1歳年上とはいえ、同年代の女の子に胸で泣かれたのは初めてだった。
どうしていいのか解らないのも無理はない。
今度はシンジが助け船をだす番だ。
「高杉君、こうするのさ。」
シンジは苦笑しながらもアスカをやさしく抱きしめて、背中をぽんぽんと叩いてやる。
一応ここでは実践講座ということにしておこう・・・・・・・・。
少年は真っ赤になって、それは甚だぎこちないものではあったけれど、そっと少女を抱きしめた。
観客席では試合の応援をしていた人たちが席を立ち始めた。一般の大会のように大勢の観客がいたわけではないが、選手の家族や友人達が思い思いの席で声援を送っていた。シンジたちはその中の一団だった。中にはちょっとした応援団もいたようだが、それはスカイホークスの応援団だったようだ。やはり大きな大会を何回も経験しているチームの重みなのだろう。
カナエも泣き止んでやっと落ち着いた頃、ひとりの若い女性がシンジたちに声をかけてきた。
「あの・・・・・・、タイガーシャークスの応援をしておられましたよね。」
シンジたちには面識が無い。
「はい。そうですが・・・・・」
「わたし、織田と申します。」
反応したのはカナエとシンゴだ。
「「え?!じゃあ織田さんの奥さん?!」」
いつのまにかユニゾンで返事をしている。
「ええ。いつも主人がお世話になってます。あなたたちがカナエちゃんと高杉君ね。」
「「はい。こちらこそ、兄が(先生が)お世話になってます。」」
ぺこりと頭を下げるのも当然ユニゾンだ。
「鈴原さん、かっこよかったわね。主人の言ってたとおりだったわ。」
「主人たら、今日の試合を楽しみにしてたのよ。『いままでスカイホークスには連敗だったけど、鈴原が入ってからうちのチームにも活気が出てきた。こんどは一泡吹かせてやれるかもしれない。』って。試合には負けてしまったけれど、応援していてとっても楽しかった。今日はお兄さんをねぎらってあげてね。」
そして彼女は、こんどはシンジの方を向いた。
「終了間際のあなたの応援、感激しました。」
「そんな・・・。ぼくのほうこそ、思わず大声を出してしまって。お恥ずかしい限りです。」
申し訳なさそうにシンジは謝ったが、
「そんなことありませんわ。スポーツの応援なんですもの。最低限のマナーさえわきまえていれば、なんでもありですわ。」
「はあ・・・・・・・・・・・」
おもわずアスカとシンジは顔を見合わせた。
「これからもタイガーシャークスを応援してくださいね。じゃあ、失礼します。」
「はい。こちらこそトウジを、鈴原をよろしくお願いします。」
挨拶をしているシンジの横で、アスカは思う。
織田さんの奥さんか・・・・・・・
ヒカリもいつか、あんな風になるのかな・・・・・・・・
去っていく織田婦人の後ろ姿が、アスカには何年後かの自分の親友の姿に思えてならなかった。
そのころ体育館のロビーでは、ケンスケとレイがみんなを待っていた。
二人はロビーの中央に設置してある円形のベンチに座っていた。
「ありがとう、相田君。無理にくっついててごめんなさい。これ、返しておくね。」
ケンスケの手にあるのは、さきほどまでレイに渡していたデジカメである。
「なあに、気にすんなよ。それより、びっくりしたな。まさか綾波があんな行動に出るなんてさ。あれが惣流あたりだったらわかるけど・・・・・・・・。」
そう言いつつも、丸い眼鏡の奥の瞳の優しさはかわらない。
「そうかな・・・・・。自分でもよくわからないけど・・・・・・・・・・。」
レイはちょこんと小首を傾けながら、ケンスケに答えた。
実際なぜ自分があんな行動に出たのか、はっきりと確信が持てなかったようだ。
「悪いことじゃないと思うよ。いままでの綾波って、良く言っても引込み思案、言い方を変えればおれたちに少し遠慮しているようなところがあったように思うんだ。でも、前に向こうの街に行ったとき、職場での綾波や、シンジのマンションで惣流と二人で飯を作ってくれた時の綾波を見たらさ、ほんと良い女になったなって思ったよ。」
「え?!いいおんな?!」
「あ!いや!その・・・変な意味じゃなくって・・・・なんつーか・・・・え、と・・・」
思わずあたふたとしてしまう若きジャーナリストだが、いくら考えても『良い女』よりほかに適切な言葉が見つからない。やっぱりそれしかないよな、と心に決めた。
「うん。良い女になったよ。」
ケンスケはレイの赤い瞳にはっきりと答えた。
一瞬、レイの心になにかがふれる。
「そ、そう言われたの、初めて・・・・・だから・・・・・・・・・・。でも・・・・・・・」
「ん?」
「ありがと・・・・・・・・」
「うん・・・・・・・・・・・・・・」
かつては冷厳な光さえ湛えていたこともある赤い瞳。いまその瞳の放つやわらかい光に、ケンスケはおもわず魅入ってしまいそうになった。
「あ。そ、そうだ。綾波の撮ってた写真、ちょっと見てもいいかな?!」
「え?でも相田君に見せられるようなものはないと思うけど。」
「別にいいさ。どれどれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほう・・・・・・・・・・・」
しばらく簡易モニターでデジカメのデータを見ていたケンスケだが、見終わるとデータをディスクに落とし込み、それをレイに渡した。
「これで綾波ん家のパソコンでもみれるよ。それより・・・・・・・」
「?・・・・・・・なあに??」
「綾波って、けっこう写真のセンス、いいかもしんないぜ。」
「・・・・・・・・????」
ふたたびちょこんとレイは首をかしげる。こんなことも初めて言われた。
「ほんとうさ。被写体の良い表情が撮れてるよ。ちょっと構図が甘いけどな。でも、このおれ様が言うんだから間違いないって!」
その時のケンスケの顔は、レイの一番大好きな笑顔だった。
中学時代、6人が連むようになってからは、晴れた日には学校の屋上が昼食の場所だった。
ヒカリは残飯整理と称してトウジのお弁当を毎日作っていたし、シンジは相変わらず葛城家の主夫としてアスカのお弁当を作っていた。後にアスカが初めてシンジのお弁当を作ってきたときには、ケンスケとトウジは大騒ぎしたものだ。レイがはにかみながらリツコの作ってくれたお弁当を披露したときには、シンジは喜んだが、アスカは信じらんない!と、口をあんぐり開けて驚いた。ケンスケがサバイバルフーズを持ってきたときには、全員がヒキまくったこともある。
どれも今となっては楽しい思い出だが、いまその光景が、体育館敷地内の芝生の一角に再現されていた。あの頃と違うのは、中学生はみんな成人し、新たに2人の中学生が加わっている、ということだ。もちろん、カナエとシンゴである。ヒカリの用意していたたくさんのお弁当は、どうやらこのためだったようだ。
あの頃そのままにトウジの、
『腹減った〜、メシやメシ〜!!』
で始まり、
『あんた、他に言うこと無いのっ?!相変わらずボキャブラリーの貧困な奴ね!!』
と、アスカがツッコむ。
正月にみんなが集まってわいわい騒ぐこともあるが、違った時期に違った場所に一同が会するということは、またべつの意味で懐かしさを感じさせてくれた。
そんな大騒ぎの中、昼食も終わり一息ついた頃、ふいにトウジが神妙な顔になった。
「みんな、ちょっとええか?」
その声にみんなは一斉にトウジの方を向いた。
「きょうは・・・・・・ほんまにありがとう。せっかくみんなが応援してくれたのに、試合、負けてもうた。このとおりや。」
そういうとトウジは、ぺこりとみんなに頭を下げた。
「シンジ、惣流、綾波、3人とも遠いところを帰ってきてくれたのにすまなんだな。面目ない。特にシンジはわいに大声で気合いれてくれたのに、ほんますまんかったな。」
「なに言ってんのさ、トウジ。帰ってくるのは当たり前じゃないか。それより、車椅子バスケ始めたのをなんでもっと早く言ってくれなかったんだ。そっちの方がみずくさいよ。」
少々不満気なシンジに、トウジは両手をあわせて謝るような仕種を返す。
「いや、すまんすまん。隠しとったわけやないんや。いずれみんなにはちゃんと話すつもりやったんや。
ほんま、今回はこの高杉のおかげや。こいつと出会うたさかい、わいも車椅子に乗ってみようかいっちゅう気になったようなもんやからな。おまけに第壱中学のバスケット部もええチームになってくれた。な、高杉よ。」
トウジはシンジに謝りつつも、傍らのシンゴに話し掛ける。
シンゴにしてみれば、『むしろ自分の方こそ』という気持ちがある。
そして彼にはトウジにぜひとも聞いておきたいことが一つあった。
「あの・・・・、先生。」
「ん、なんや?」
「きょうの試合で、後半先生が出てきたときに、碇さんが言ってたことがあるんです。」
「シンジがか?」
「はい。先生が車椅子バスケットを始めたのは、ただ、バスケが好きなだけじゃないって。きっとなにか他にも理由があるはずだって。だから、碇さんも、ぼくも、鈴原先輩も、今日の試合はちゃんと見届けなきゃいけないって。」
「シンジ、おまえ、そないなこと言うたんか?」
「ああ。言ったよ。」
すると今度はケンスケが割り込んだ。
「なんだ。シンジもそう思ってたのか。」
「え?じゃあケンスケも?」
「まあ、なんとなくだけどな。この単細胞野郎も昔に比べたら、すこしは進化したみたいだからな。」
「だれが単細胞じゃいっ!!ま、やっぱおまえらには、お見通しっちゅうことかい。」
「とーぜん。3バカトリオは伊達じゃねーだろ。」
「そういうことだね。」
ケンスケとシンジの答えにトウジも思わず苦笑する。
「うん。そうやった。あのな、どっちかっちゅうと、その理由は後からついてきたようなもんなんや。」
「もったいぶらずに言っちまえ。」
「ケンスケ、そないせかすな。実は、初めにタイガーシャークスの練習を見に行ったのは、むしろ高杉んとこのおとんに強引に引っ張っていかれたからなんや。その時はまだ車椅子のバスケットをやるっちゅう気は、はっきりとはなかった。そやけど練習を見とったら、みんなええ顔しとるねん。その時に初めてわいは気がついた。わい、いままで現実から目を背けとったんや。」
「現実から?」
シンジの問いにトウジはゆっくりと、しかし大きく肯いた。
「わいがいままでなんとかやってこれたんは、左足が無いっちゅうハンディに負けたらあかんって思うとったからや。そりゃあ初めっからガンバれたわけや無い。そやけど、ほんま親身になってわいを支えてくれた人たちもおった。そやから、その人のためにも、わい自身のためにも、乗り越えなあかんって思うとった。その人たちを裏切るわけにはいかへんし・・・・・。そやさかい、それはそれで間違ごうてはおらんかったと思う・・・・・・。」
「それがトウジの凄いところだよね。トウジに依存するわけじゃないけど、もしトウジがくじけていたら、ぼくも今のぼくじゃなかったと思うよ。」
シンジはあえて『ぼくもアスカも』とは言わなかった。
たしかにシンジとアスカは、トウジ達の姿を見て立ち直ることができたのは事実だ。しかしシンジ自身が立ち直ることができた要因の一つはやはり3バカトリオの構成員である鈴原トウジ個人とのつながりによるのも事実である。なぜなら、あのとき参号機に乗っていたのはトウジだし、初号機に乗っていたのは他の誰でもないシンジ本人だったからである。
「またそれを言いよる。ま、そんなこんなで始めてもうた車椅子バスケやったけど、そのとき初めて世の中には身体に障害を持った人がぎょうさんおるっちゅうことに気がついたんや。実際、高杉のご両親かて耳が聞こえへんのやさかいな。」
ここまで喋ったトウジはじっと目を閉じる。
おそらくは様々な想いが彼の胸にあるのだろう。
シンジたちは黙ってトウジの次の言葉を待った。
「結局わいは自分のことしか考えてへんかったんや。気がついたときはめっちゃ恥ずかしかった・・・。情けなかったわい・・・・・。リツコはんの造ってくれた義足は確かにすごい。普通の生活するぶんには困らへん。実際付けとるのをついつい忘れることもあるくらいや。そやけど、やっぱり義足は義足やねん。本物の足やない・・・・。」
「わいはいままで、そんな義足をつけとるのをええことに、体の不自由な人たちのことを考えようとはせんかった。現実から逃げとったっちゅうんはそういうことや・・・・・。」
シンジはトウジの言葉を真っ正面から受け止める
それが今日ここに帰ってきた理由だから
それが3バカトリオだから
アスカも一言も喋らない
確かに自分も当事者ではあるのだけれど
これはシンジのけじめだから
あのとき一緒にエヴァに乗っていた
碇シンジのけじめだから
二人ともはっきりと表情に出ていたわけではないが
シンゴはアスカとシンジを見て
トウジの話に聞き入っている二人を見て
これがこの人たちの本当の姿なのかもしれないと
彼はそう思った
「それが先生が車椅子バスケを始めた理由なんですね。」
トウジはシンゴに軽く肯き、話を続ける。
「うん。さっきも言うたように、それはむしろ、始めた後でやっと気がついたっちゅうほうが正しいかもしれへん。とにかく、高杉も知っとるようにわいはバスケットしか能がないさかいな。とりあえず車椅子バスケットは真剣にやってみようと思うたわけや。ま、それかて自分本意なことっちゅうんはようわかっとる。そやけど、これが取っ掛かりになって、また将来なんかできたらええな、ちゅうか・・・。今はまだそのくらいしかないんやけどな。」
トウジの話を聞き終えたシンゴは、しばらくの間なにか考えていたようだったが、やがて意を決して口を開いた。
「先生・・・・・・・・・・。これからもタイガーシャークスの練習を手伝っていいですか?」
「兄ちゃん、うちも手伝いたい。」
重なるようにカナエも訴える。
二人とも真剣な顔だ。
ところがトウジは幾分苦い顔つきになった。
「やっぱりそう言い出したなあ・・・。」
「へ?なにそれ?なんやねん、兄ちゃん。」
するとトウジはカナエたちに、
「たしかにきょうの試合にわいが出れたんは、おまえら二人がわいの練習につきおうてくれたからや。もし二人がおらなんだら、試合に出るどころか、バスケットを続けることもできんかったかもしれん。」
「そやけど、そのぶんおまえらは、自分の時間をかなりわいのために使うてしもうたはずや。これ以上おまえらに迷惑かけるわけにはいかん。カナエ、おまえは三年生や。来年は高校の受験がある。それから高杉、おまえにはもうすぐ県大会の予選がある。おまえは、うちのエースやぞ。エースっちゅうもんはな、自分のチームを勝利に導く責任がある。だいたい、おまえらふたりはやなぁ・・・・・・・・・・・」
自分では口下手だと言いながら、説教を始めると、なぜか話が長くなるのがトウジの悪い癖だ。
そのうち旧友達もあきれてきた。
「ねえヒカリ。鈴原っていつもああなの?」
「そーなのよ。始まると終わらないのよ・・・・・・・・・。」
「シンジよ。トウジのクラスの連中、苦労してんだろうな・・・・・・・・。」
「うん・・・。すこし同情しちゃうな・・・・・。」
非常に友達おもいの会話といえよう。
すると、そのとき、
「鈴原君・・・。鈴原君!」
「・・・・・・ちゅうのが中学生の本分や。へ?!なんや、綾波かい。どないしたん?」
「鈴原君が、どれだけカナエちゃんと高杉君を大切に思っているか、わたしにもよくわかったわ。だけど、せっかく二人がタイガーシャークスを手伝いたいって思っているのを、無下に断るのもどうかしら。それにカナエちゃん達なら、きちんと自分の責任を果たした上で鈴原君の手伝いができると思うの。」
やっとレイのフォローが入った。
「そらそうかもしれへんけど・・・・・・・・・」
「洞木さんもそう言っているわよ・・・・・」
(うんうん)
「アスカもそう言っているし・・・・・・・・・・」
(そーそー)
「相田君も同じ考えだし・・・・・・・・・・・・」
(とーぜんだな)
「・・・・・・・・・・・・碇君が反対するわけ無いし。」
(な、なんでぼくだけ・・・・・・・・・)
もはやトウジに反対する理由はなにもない(笑)
まさか『おまえらには失望したわい!』などと言うわけにもいかず
「あーっ!もう!わいの負けや負け!!好きにせえ!!!」
ついに白旗を上げた。
大喜びなのはカナエだ。
「やった!兄ちゃんありがとー!レイさん、ありがとー!こらあ!高杉っ!!あんたもお礼言わんかいっ!!」
試合終了後のあの雰囲気は、ディラックの海に不法投棄したカナエは、元気にシンゴをどついていた。
その後、カナエの不法投棄した話題を、アスカが強制サルベージしたおかげで女性陣は大騒ぎ。
なし崩し的に3バカトリオは蚊帳の外になってしまった。
「しかし、おんな三人集まればかしましいって言うけど、四人集まるとやかましいな。」
「ほんまやで・・・。今度の正月が思いやられるわい。」
相変わらず無責任なのは、トウジとケンスケだ。
そのとき、ふいにシンジがトウジの肩をたたいた。
「トウジ、次の試合が決まったらすぐに知らせてくれよな。」
トウジとケンスケもまじめな顔になった。
「おう!今度は負けへんさかいな!」
「うん。練習・・・がんばれよ。もし、くじけそうになったら・・・・・」
「?なったら?」
「すぐに怒鳴りつけに帰ってくるよ!」
第八話 了
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