佳人、レイ人
アニメ・・・絵空事。痛みを伴わない疑似体験。碇司令が好きなもの。赤木博士が憎むもの。
綾波が目を覚ますと打ち剥がしただけのアパートの天井が目に入った。
見慣れた天井である。
時計を見るともう10時である。
彼女は「ったるいから学校休も〜」なんて考えない。
学校に向かうか本部に向かうかは思考しないでも決まっているようだ。
習慣的にシャワーを浴び、学校の制服を着て本部に向かう。
はっきり言って私服なんて持っていないに等しい。
服を選ぶこと自体に興味がない。
今日も命令されたから本部に行くのであって、他の選択肢は「寝る」「学校に行く」程度しかない。
本部に着くと赤木博士のもとに直行する。
赤木博士が「掃除しろ」「片付けろ」「着替えろ」「洗濯しろ」「シャワーを浴びろ」「ベッドで寝ろ」等々の生活指導をしてようやく今の生活が成り立っている。
命令されたとおりにしか生活できないので「道草」だの「娯楽」だのは想像もしない。
L.C.Lの水槽から出ると今日の試験は終了だった。
基本的な代謝はL.C.Lで行うので試験が続くと食事の必要もない。
昔、試験中断が長かったときに彼女が倒れ、赤木博士は慌てて水分や食事の摂取を教えた。
赤木博士は「猫にトイレを躾る以前の問題」と碇司令に言っていた。
入浴もL.C.Lと勘違いして溺れる始末で、付き添いがない場合の風呂も禁じられ、もっぱらシャワーである。
赤木博士は命令ばかりしているが、碇司令は「よくやった」「大丈夫か?」などと声をかけてくれる。
碇司令から声をかけられると気分が高揚することを赤木博士に言うと「それはうれしいという正の感情よ」と説明された。
正の感情の最たるものが笑いであるとも教えられ、綾波は碇司令を笑わしてみたいと思った。
当面、それは命令を忠実にこなすことであるが、直接的な方法もあるに違いない。
綾波の「笑いの研究」はこうして始まったが文献調査は難航した。
“演者の悲しみという負の感情の反作用” “本人特有な行為の誇張” “突飛な行為”・・・・・・
いずれも前に“共同体の共通認識に対して”と付くのが鬼門なのである。
綾波に常識を求めるのは多少無理がある。
やむを得ず用例から効果を研究することになった。
笑いといえば漫画、漫画といえばアニメ。
碇司令のアニメ・特撮好きは公然の秘密である。
著名な古典のアニメで繰り返し用いられたギャグなら笑ってもらえるに違いないと考えた。
NERFのライブラリーを探したが、さすがに公開データの中にはなく、碇司令のプロテクト領域の閲覧をお願いするのも気が引けたので配給会社にネット配信してもらうことにした。
こうして、数日にわたる検討の末にギャグを選定し、習熟に更に数日を重ね決行の日を迎えた。
ミッションルーム前のエレベーターホールで綾波は碇司令を待っていた。
「碇司令を喜ばせる」試みに興奮気味である。
今日のような平時はこのフロアーに来るのは碇司令と冬月副司令程度しかいないはずだ。
エレベーターが上昇してきた。
ミッションルームに到着しドアが開き碇司令が乗っているのを確認すると綾波はエレベーターホール中央に飛び出し・・・。
「シェー!」
勿論、イヤミの伝説的なギャグである。
綾波は完璧なできだと思ったが、エレベーターは碇司令を乗せたままドアを閉じ下降していった。
碇司令は無表情なままだったのでウケたのか確信が持てない。
再びエレベーターが上昇してきた。
ドアが開くと赤木博士と医局スタッフがわらわらと出て来て、綾波は拘束され医局に連れて行かれた。
一週間続いた心身両面の検査の後、綾波はようやく開放された。
報告書から目を上げ、碇司令は綾波に声をかけた。
「無理をするな」
その一言に再び幸福感を覚える綾波であった。