つれづれなるままに、日ぐらし、パソコンにむかって、心に残るおもろい事、解せない事を、適当に書いてしまえば、まあストレス解消になるんじゃないかと。日記風に書いてます。
「徒然草」(序段)
つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
ところで私の臭い話。ある日あるとき、広島城の堀のへりを妻と歩いていたと
き、突然催し、スーと音のない一発を放出した。
しばらくして、たいていのことには鈍感な妻が珍しく「なんか臭くない?」。
いたずら心が芽生えた私はとっさに「最近、広島城の堀は汚れてるからなあ」
と返答した。単細胞の妻は「広島市、ちゃんと掃除せえ!」と叫んだ。
あまりうまく妻をだませた私は怖くなってしばらく犯行を隠していたが、
ある日、妻がうちの新聞で「広島城の堀、太田川から水を導入して浄化へ」
という記事を見て、「これでちょっとは臭くなくなるね」
というのを聞いてさすがに良心がとがめて本当のことを打ち明けてしまった。
それから(前からだけど)妻の私に対する信頼感は限りなくゼロに近づいた。
我が家の教育方針は、親を信じている子供に対して、「親は他人の始まりで、親
を信じるとひどい目に遭う」ということを知らせることであり、そういう意味で、
まず夫婦から信頼関係を壊すことは、大変よいことである。
デパートで徒然ぐそ
先月の事である。久々に女房と子供2人を連れて、某大手デパートに家族で買い物に
行った。昼食はファミリーレストランで、子供にはお約束の「お子様ランチ」を食べさせ、食後は屋上で、乗り物に乗って遊ぶといった一昔前の典型的な日本のお父さんを演じていた。
子供も遊び疲れたため、そのままデパート屋上のベンチに越しかけて、缶ジュースを飲みながら、憩いのひととき。他の家族も楽しそうに遊んでいる。老夫婦ものんびりと会話している。鳩やスズメも落ちているお菓子を食べている。「あー平和だなあ」と煙草に火をつけぷかー。
すると、3歳の娘が「とうさん、臭い」。「あんたーオナラしたじゃろう」と女房。私は普段確かによくオナラはするが、この時はしていない。嘘じゃない。1歳の息子のおむつを見るが、違う。
不審に思いあたりを見回す。すると、信じられない光景があった。
さっきまで男性が座ってたいすから、馴染みのある黄土色の柔らかそうな物体が、エレベーター方向まで点在している。そう人糞だ。
「何故デパートの屋上に人糞が?あの男性が?」この不可思議な出来事にあっけにとられていた。しかし、原因などどうでも良い。他の人が踏んだら大変なので、いすを置いて、面識のあるこのデパートの人事課長に、わざわざ電話して教えてあげた。
係員が来るまでの間、私は近くに立って通る人が踏まないよう注意を促した。私って
なんていい人なんだろうと思いつつ、ひょっとして他の人はうちの子供がおもらししたと勘違いし、何故、この人は自分で拭かないの?と思われてはいけないと思い。わざわざ、「不思議ですよね。私も踏みそうになりました。今デパートの人呼んでます」などと一言添えた。
しばらくして、人事課長さん自ら来た。清掃係がまもなく来るとの事。
しかし、係員はなかなか来ない。人事課長さんは、やむなくトイレットペーパーで拭き始めた。昔お世話になった人だが「手伝いましょう」とは言えず、「じゃあまた今度飲みに行きましょう」と愛想笑いで現場を後にした。この課長を見直したのは、言うまでもない。後日この課長に電話した。「先日はどうも有り難う。でも、この事は
誰にも言わないでね。デパートのイメージが下がるから」と課長。「誰にも言いませんよ」と私。人糞事件の原因は分からないままだが、約束破ってこうして、世界中の
人にこの話を紹介している私って悪い人間だろうか・・・。
夏の終わりの不思議な出来事であった。
これぞまさしく、徒然ぐそ。
先生を泣かせた・・・
私が中学・高校を過ごした、昭和50年代前半。学校には悪い生徒もいたが、それほど問題になるほど荒れてはなかった。ただ、気の効いた悪戯で、先生を泣かせた事が
ある。今思うとかわいいものばかりだ。一番の思い出は、中学生の時。学校の裏山に
柿の木があって、放課後数人で盗みに行った。しかし、それは「しぶ柿」で、そのままでは食べられない。そこで、思い付いたのは「干し柿」作戦。教室に持って帰り、
カッターナイフで皮をむく。そして、ひもを通して、掃除道具ロッカーや窓のカーテン裏に隠して干していた。2、3日は先生にバレなかったが、ある日の授業中女のY先生にバレた。
「誰がこんな事したんね!」教室はシーン。そして、Y先生は突然、
涙を流し始めた。あまりの、馬鹿馬鹿しさに、呆れて笑い泣きしたようだ。
後で聞けば、あんな干し方で、「干し柿」はできないらしい・・・。
この他、教室の席を、クラス全員に言って後ろ向きにしたり、嫌いな先生の乗用車を
駐車場でみんなで抱えて、反対むきにしたり、ヘビをつかまえてスポーツバックに3、4匹入れて「プレゼントです」とか、なかなかおちゃめだった。
極めつけは、日本史の授業。ある友人が先生に当てられた。質問内容は忘れたが、友人は起立して答えた。「その時代生まれてないのに、分かるわけないでしょ!」
先生は、何も言わず次の生徒を当てた。この友人、今では立派な中学校の教員をしている。今思うと良き時代だった。
スケベ本と新聞
話は、およそ20年前の中学時代にさかのぼる。当時私はどこにでもいるフツーの、
中学生であった。頭は、ずば抜けてよい方ではなかったが、社会科だけは得意科目
で、時事問題にはうるさかった。ある日の授業で、新聞の投書欄に投稿しようと、
クラス全員に宿題が出された。その中で、数点良いもの先生が選び、実際に新聞社
に送るというものだった。私は、日ごろそこまで問題意識はもってないテーマを、
偉そうに書いた。すると、秀作の中の一つに選ばれ、新聞社に送付された。
数日後、新聞の投書欄で、大人たちの投書に交じり私が書いたものが掲載されてい
た。その時のテーマは、分かりやすく言うと「最近のテレビ番組は、子どもが見る
時間帯に、女性の裸や暴行シーンを放送するのはけしからん!」という内容だった。
親もそれを見て、中学生ながら立派な事を書いていると、喜んでいた。
それから、数日後・・・。クラブ活動から家に帰ると、母親の様子がおかしい。何
か怒っているというか、さえない顔をしている。
そして一言、「あんた!これ何!こんなもの読んでたんね!」手には当時宝物の、
「エロ本」数冊。中には過激な本も。「新聞に書いてた事は、いったい何だったの
このうそ付き!恥かしい」
本音と建前が、母親には分からなかったらしい。それ以降「エロ本」の隠し場所を
机から天井裏へと替えた。
それから、さらに15年後。私も結婚して実家を離れたある日。父親が笑顔で語り
掛けた。「おい、この前天井裏直してたら、沢山エッチな本が出て来たが、まとめ
て焼いたぞ。勝手にしたがよかったのか?あれじゃ、浪人するはずじゃの」
ゲロとくしゃみ
あれは、10年以上も前、私が大学1年の事じゃった。大学が山にあるため、バスで通うと「バス酔い」するという話を先輩から聞いていた。ある春の日、珍しく真面目
に朝から学校にバスで行った。その日は雨で、ほぼ満員で窓は閉まったままであった。ぐねぐね道を登りやっと学校についた。その時、妙に後ろの席の奴が、「はあはあ」と息遣いが荒いのに気がついた。「バスに酔ったのだな」と思って下車しようとした瞬間。激しい音が「おえー」「ーくしょん」。そうです、よりによってこの男、ゲロとくしゃみを同時にしてしまったのだ。私は、後頭部に異物を感じ、おそるおそる手を伸ばすと、ねっとりとした感触だ。ハンカチも持ってなく、怒りをぶつける矛先がなく一人たたずんでいた。すると、隣の席の男がハンカチを貸してくれた。それ以来、彼とは4年間友達になった。しかし、ゲロとくしゃみをした男は、卒業まで見る
事はなかった。いったい、何者だったのか?心あたりのある方、連絡待つ。
近眼は悲し
あれは、私が高校1年生の事じゃった。高校受験勉強とマンガの読みすぎで、視力は
下がっていた。しかし、当時眼鏡をかけるのはダサくて嫌であった。それが不幸の始まりであった。今はほとんど死語に近いが、俗に言う「ツッパリ」にからまれた。
当時私は、中ランに2タックのボンタンは身にまとっていたが、「ツッパリ」ではな
かった。
その1、海水浴に友人と行き、ボートに乗って青春をしていた。すると、どこかで見た事がある3人組みが別のボートに乗り「煙草」を吸っていた。近眼なのでボートを近づけて、誰かなと確認しようと、見つめていたら、「わりゃ、何ガン飛ばしとるんな!殴ったろか!」その集団は、全く見ず知らぬの「不良」で、すぐ逃げた。
その2、あれは暑い夏の日、中学校時代の「ツッパリ」の友人2人組を町中で発見。
とても、美味しそうなアイスクリームを食べていた。思わず近寄り、「一口ちょうだい」「パクッ!」すると、「お前誰じゃ?」これまた、全く見ず知らぬの「不良」だった。それ以降、銀縁のダサい眼鏡を常時掛けるようにしたのは言うまでもない。