国旗 国歌

世羅高校の校長死の抗議
 広島県世羅高校の校長先生が、卒業式の前日に自殺をする。タイミング的に生徒に与える影響は計り知れないものがある。教条的な日教組と文部省から指摘され権力だけで指示をする教育長との板挟み成ったものでしょう。
 基本的には、国旗も国歌も法制定が無く根拠が無いのが問題の発端で有るのは、全国民が知って居る筈で有る。文部省の指導要綱に、卒業式には『国歌斉唱、国旗掲揚』 を指定して居り、此の事が文部省よりの指摘で県教育長が、面子上、保身上、校長に押しつけたのが実体で有る。

教育長は現場に足を運んで居ない
 教育長は、一校でも訪高し、職員会議の席で『国歌斉唱、国旗掲揚』の討議をしただろうか。一片の指示書だけでは、校長が困るだけでは無かったのか、考えた事が有っただろうか。又、現場はそんな状況で無い事は百も承知の上で指示して居るのも、卑劣で有る。 身を切られる様に悲しい、結果に対し、自殺の原因は心当たりが有ると、他人毎の様に解説をして居るのも、許せない。教育委員会は教育者とは違うのかも知れない。行政の一環と片づけて良いものか、知性的に話し合い、民主的に整合を計る方法が採れ無かったのだろうか。PTAも絡め、十分討議の上、教育現場に持ち込むべき、重大な問題だったのではなかったのか。

無駄死にには成らない
政府も政党も、やっと動き出した。
機会が必要だったのだ
 この機会に、全国民が討議の輪に入り、封建制がどうの、軍事利用がどうの、アジヤ侵略がどうの、歌詞がどうの、起源がどうのと徹底討議をするべきで有る。新たに創っても良いではないか。最左翼の共産党まで決定後の採用に賛意を表して居る。教条的な社民党は相変わらず、煮え切らず、この期に及んでも凋落の政党物語そのもので有る。

国歌と国旗
 国歌は相撲の歌で国旗はオリンピックの旗であると子供は思って居る。国歌を熱唱し、国旗に忠誠を誓う光景は、外国では全ての催事で見られ、人々は当然の如く振る舞い、何時も羨ましく思って居た。
 国旗国歌は愛国心を生み、正義の神髄を形成し行き、国の為人の為が、何時しか強力なポランテァ精神を形成して行くものと思います。目的が無いままに、成長して行く子供達が不正、不良に走るのが少しでも止まる様な気がします。世論の形成に任して置くのは、余りにも時間が掛かり過ぎ、結果も出ない。外国では、旧交戦国も旧植民地も日本の国旗国歌を認めて、敬意を払って居るのを、直視して下さい。

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