学級崩壊は正しい

★先日、学級崩壊のクラスを担当しているY先生からお話しを伺った。 学校の先生は自分の事となるとなかなか話したがらないものなので、今回は 貴重な話であった。 近頃、巷では、教育現場における学級崩壊の話題が取り沙汰されてきているが、関係のない人にはあまり 実感のわかないことかもしれない。しかし今回、話を間近に聞いて、これは深刻で切実な問題だと思った。

Y先生は転任になって、いわゆる学級崩壊しているクラスを受け持つこととなった。 みんな騒いでいて、先生はまるっきり無視され、授業は成り立たない状態である。 学級連絡の用紙を配ると、その場で丸められ、目の前で野球を始める始末である。 そこで先生はただ捨てられたゴミを黙々と拾うしかなかったという。 以前なら先生は「鶴でも恩返しをするものだ」と叫ぶのだが、ここではぐっとこらえた。 まず信頼を築く事が先決だ。今までだと、まず自分の回りから固めていくのだが、ここでは失敗した。 自分に近い人に物を頼んでも、なぜ自分がやらなくてはいけないのかという顔をされるのだ。 試験の解答欄には「バカ」だの「死ね」だのという言葉が書いてある。 と言って、Y先生はその答案用紙を見せてくれた。 その先生はさすがベテランで、みんなの前で怒鳴ってもちゃんと聞いてもらえるようになってきた という。やはり当の本人から話を聞くと、迫力がある。

そこで問題である。どうしてこのような学級崩壊がおこるのであろうか。 そのまえにまず、ひとつには、これは一時的な問題だという見方がある。それは ある意味ではそうかもしれない。学級崩壊の前にはいじめが問題になったし、不登校も問題になった。 その前には校内暴力がさかんに取り沙汰された時代もあった。(もっと前には 大学紛争の時代もあったが。) それはそれなりに落ち着く時期がくるのかも しれない。ただこの現象の意味を考えることは無駄なことではないと思う。

原因と一口にいってもいろいろな要因が重なっていると思うが、まず教員の適性から とりあげさせてもらいたい。ここにきて子供の教育はやはり難しいと言うのが感じられて 来ているところだろう。それでは昔はどうなのかというと、昔はまだ楽だったと思う。 というか、教師にもっと権限が与えられていたと思う。今なら、子供を殴ろうというものなら、 PTA(今はPTCという)が黙っておかず、悪く行けば訴訟問題にもなりかねない。 それに学校における親(特に母親)の権限が強化されたのに加えて、子供がまたわがままときている。 少子化傾向も拍車をかけて、過保護も問題になっている。(ちなみに児童虐待も同時に問題になっている ことは、それだけ問題は単純ではないということだろう)

話を元に戻すが、教育環境の複雑化が一つにはあるだろう。まず、教育理念が一致していない。 要するに、文部省と日教組の確執である。文部省は文部省で国旗国歌が大事だというし、日教組はいや そうじゃない、子供の人権と平等と自由が大事だという。そしてそれぞれに矛盾をかかえている。 道徳教育なんてそっちのけである。いや道徳教育こそ悪だという人もいるくらいだ。(ちなみに私は倫理教育は早期教育には欠かせないと思っている者の一人である。)

そして、学校の先生は学校の先生でいわゆる優等生で(自分が)あろうとする。上の先生の言う事には 絶対服従で、レポートも欠かさない。まるで生徒不在の学校教育という印象を与えられた事もあるくらいだ。ここで教師の適性という問題に戻るが、いわゆる優等生の教師が教育に向いているとは必ずしも 言えないということだ。笑い話ではないが、先生と生徒が出会った場所が精神科外来の待合室という 話がある。とある学校の先生が学級崩壊で、うつ病になり、精神科に入院した。そこで、自分は教師と しては不適格だと悟り、公認会計士の勉強をして、税理士として働き始めた。それ以来、うつは なくなり、校長先生もこの間会った時には別人のように明るくなっていたと話していた。あえて言わせて いただければ、教員採用の時は教師の適性、特に子供との相性という点をもっと考慮していただければ、 もっと適材適所に配置できるのではないかと思う次第である。

次に子供の変化について、述べたい。

さきほども述べたが、要するに子供の質が変わってきていることに気を付けないといけないということだ。どう変わっているかといってもすぐには簡単に説明できるものではないが、すくなくとも、これには社会の変化そして大人の世界の動向が反映されていることは否定できないと思う。遺伝的には変わらないのだから、これは社会的影響ということになる。

一つ言えることは、子供は回りをよく見ているということだ。子供は回りを見て育つ。親が悪いことをすれば、子供だって悪いことをする。親を反面教師にして育つことができるのは、子供でもずいぶん大きくなった後である。それならどうしたらいいか。大人が悪いことをしないのが不可能であるなら、子供も そうである。そうであるなら、まず、子供は大人とは違う立場であるという事を教えなければいけない。 子供は教えられるべきものであり、大人は教えるべきものである。この基本的な考えがまずできていない といえると思う。みんなにもっと考えてもらいたい。

そして子供がどうなっているかというと、まず回りに合わせることを第一優先にするということだ。 それがなければ、学級崩壊など起こり得ないと私は思う。そして、回りに合わせながら、それによる 利得を計算する。学級崩壊によって得することは、学力低下が自分だけに起こらないということだ。 自分だけが損することは絶対にしない。当たり前といえば当たり前だが・・・。まあ変な意味で賢く なってきているのでしょうねえ。

そしてもう一つ言えるのは、ある意味でこれは子供の叫びだということだ。子供はそれによって何かを 訴えている。もしくは訴えようとしている。それは何か。それはある意味での変革なのだろうか。今までの状態ではだめだということを訴えている。もしくは今までの状態では将来だめになってしまうと訴えているのではないか。確かに、この閉塞感は今の日本の全体を支配してしまっているのかもしれない。それに敏感に反応しているのが子供だということなのだろうか。

それでは何がいけないのであろうか。すくなくとも言えるであろうということは今まで良かったはずのことで良くなくなってしまっている事があるのではないかということを考える必要があるのではないかと思うのでありますがいかがでしょうか。みんなでよく考えましょう。

(99.11.24付)