もう、二度と使わないゾ

 光丘高校は、校内のいろいろなシステムが整った学校だった。それは、設備面でもそうであり、特に40台のi- Macがはいったコンピュータ教室は、先進的で本当に楽しく明るい空間だった。当時は、まだ「情報」という科目がなかったため、英語や生物などの教科で、比較的自由に教室を使うことができた。導入するときから、英語という教科で「教材の提示」「コミュニケーション活動の展開」などを想定させてもらえた。それゆえ、コンピュータ同士を向かい合わせて設置してもらえたのである。コンピュータの画面に教材を生徒に提示したり、比較的簡単なjava-scriptのゲーム的なプログラムを使わせて会話練習をさせたり、と結構自由に「遊べた」。これも、こちらのアイデアを具現化してくれる優れたスタッフがいたおかげである。感謝感謝。(「私の授業・私の工夫 会話の場面状況を与える視聴覚機器の利用」でも少し触れています)

 ただ、コンピュータを使った英語の授業については、苦々しい思い出がある。ライティングの授業で、自分の書いた英文をパソコンで打ってプリントアウトしてみよう、という授業をしたことがあった。(ありがちな授業展開だ。)当時は中学校でも、パソコンを使って教育活動をしているところはあまりなく(ハッキリ言って、学校間で大きな差があったと思う)、生徒たちにワープロソフトを起動させ、入力させ、プリントアウトさせるのは、決してた易いことではないとは予想できた。が、自分が書いたものを「活字」というかたちで、客観的に見るのはいい経験になると考え、やらせてみることにした。

 i-Macにも、ウインドウズでいわゆる「標準」と考えられているアメリカの大手ソフト会社の製品もインストールされていた。当初、ワープロで英文を生徒に入力させてプリントアウトさせたい、とパソコンの管理をしていた教員に言うと、Mac専用のワープロがあるからそれでもいいし、いわゆる「標準」のワープロも使えるよ、とのことだった。その時は、まあ、自分も日ごろから「標準」を使っていて慣れているし、生徒たちにとっても、こちらの「標準」ワープロソフトを使う機会が多いだろう、という理由で、そのワープロソフトを使わせることにした。

 このもともとアメリカ製のワープロソフト、英文を入力するには、私には、確かに便利だ。半角アルファベットを入力すると、自動的にスペルチェックが働き、赤い波線で教えてくれる。スペースのあきすぎや、統語的に明らかな間違い(主語が複数形なのに3単現のsが動詞についていたりする場合)には緑の波線で教えてくれる。事前に説明した(つもり)にもかかわらず、慣れていない生徒は、この波線にうろたえ、つぎつぎと、「アンダーラインの波線が出る」「どうやったら消えるん」と大騒ぎになった。仕方なく、「赤い線はスペルミス、よーーくつづりをみて打ち直して。緑の線は気にしなくていいから。」と大声で指示することに。見たところ、生徒たちの緑の波線の原因はほとんどがスペースの関係だったので、緑の線は少々いいわ、とのんきに私は考えていた。

 ところが、1人の男子生徒が私に、訴えてきた。「先生、どの波線は無視してもいいのですか?」画面を見た私は、「ほら、そこの赤いところはスペルミスじゃん。他は緑だから、無視しちゃって。」「・・・でも、先生、ボクには全部一緒に見えるんです。」

 ・・・色覚異常だった!しまった、この赤と緑は見分けがつかないのか。その真面目な生徒は、目に少し涙をためている。「・・・じゃあ、この単語だけよくみて入力しなおして。」・・・あとはよく覚えていない。とにかく、私自身、怒りで手足がぶるぶる震え、頭の中が真っ白になった。当然、このワープロソフトを作った大手ソフト会社に対して。そして配慮と勉強不足だった私自身に対して。

 私はこの日まで、コンピュータというものは人間の不具なところや不得意なところを補い、役立つものと信じてきた。実際、スティーブン・ホーキングについて、授業で生徒と読んだ時にも、コンピュータを介して人々とコミュニケーションをとる彼の姿は、コンピュータのあるべき姿だね、と解説したりしていた。日常生活でも、計算や整理の苦手な私の不得意なところを「表計算ソフト」が補ってくれているのよ、と話して聞かせた。

 それなのに、このワープロソフトは人の足らないところを補ってくれる、というよりは、色覚異常という「障碍」を持った人には、その「障碍」を目の前に突きつけるような形になってしまっている・・・。色覚異常が障碍かどうか、という論議は別にして、こんなにはっきりとした形で、「人にはできるのに、自分には見分けがつかない」という現実を、少なくとも彼に突きつけてしまった。その意味では、このコンピュータソフト会社と、この授業を実施してしまった教師の私は、非常に罪深い。私がコンピュータというものに抱いていた「夢」やポジティブなイメージが吹っ飛んだ瞬間だった。

 なぜ、見えにくさを解消するような工夫や配慮がないのだろう。そのソフト会社に言ってやろうか、とも考えた。しかし、こんなこと、多くのユーザーが少し使えば(または出荷前に慎重に検討すれば)すぐわかることなのに、なぜ、対策がとられなかったのかと考えると、無駄なような気がして、まだ言っていない。今にして思うと、こんなことは、この大手ソフト会社には序の口の「仕様」なのだろう。すべてのユーザーに快適な環境を、と当時から配慮があれば、現在、バグだらけ、セキュリティーホールだらけの基本ソフトを法外な高値で売りつけるようなことはないはずだ。

 私は、二度と自分の英語の授業では、このワープロソフトを生徒には使わせない、と心に決めている。他にも選択肢はあるのだから。しかし、いまだに、自分がプリントやテストを作るのはこの「単語」という名前のワープロソフトである。繰り返し言うが、私にとっては、英文を入力するには便利だからだ。

 余談になるが、日本語のときは、絶対に、徳島のソフト会社が阿波踊りを窓の外で聞きながら開発したというワープロソフトを使う。日本語を使うなら、日本人の開発した日本語ワープロを使え!自国の産業を奨励して何が悪い!と私は強く思う。所詮、アメリカの大手ソフト会社の日本語に対する扱いなんて、マイナーな外国語の1つじゃないか。私たちは、もっと日本語と国内産業を大事にしたほうがいい。何が「標準」だ。

(2004年9月)