スタンハンセン、ラリアート、首折り伝説
スタン・ハンセンと言えば、現在全日本プロレスの外国人レスラーのトップを永年勤め、その必殺技「ウェスタン・ラリアート」は本当に一撃必殺を体現しています。
そのスタン・ハンセンにもグリーンボーイ(新人)の時期もありました。彼が運良く当時トップ団体であったWWWFで、しかもそのトップであるブルーノ・サンマルチノとシングルで戦いました。
世界最高の会場と言われたマジソンスクウェアガーデン(MSG)で彼(ハンセン)も緊張していたのでしょう。一発目のボディスラムは教科書通りの物ができたそうです。しかし2発目のボディスラム(ショルダーバスターではないかとサンマルチノは後日述べています。)は失敗し、サンマルチノは脳天から真っ逆さまに落ちてしましました。
彼は頸椎を骨折し入院生活を余儀なくされました。しかしその怪我は常人では耐えきれなかったほどの物だったぐらいです、引退は必然、時間の問題でした。
しかし、運の悪いことに当時アントニオ猪木がボクシングのモハメッド・アリに挑戦するというイベントが決まったのです。これは絶対アリのKO勝ちであろうとアメリカ中が思っていました。サンマルチノはチャンピオンとしての自覚からプロレスラーの強さをアメリカ中に知らしめなければならないと思ったのです。
サンマルチノはハンセンとの復帰戦をすることになりました・・・。
その後結局その後騙し騙しやっていったサンマルチノですが6年後の44歳の時、首の怪我を原因に引退してしまいました。
ハンセンの首折り事件はそのまま彼のウェスタン・ラリアートの噂と結びつき、日本に渡ってきました。「ハンセンのラリアートで、あのサンマルチノは首を骨折した。」
プロレスライターの流智美氏は後年ハンセンの全日初参戦(’75)とその5年後(’80)にインタビューを試みていますが真意を聞き出すことはできませんでした。