月 月の光が、まだ、地上に届いていた頃、 僕は、一人の少女と出会った。 小柄で、愛くるしいその少女は、僕を見ると、 にっこりと、微笑みかけた。 僕は、その少女の瞳に、 吸い込まれそうな、漆黒の闇をたたえた瞳に、 魅入られた。 そのまま僕立ちは、一言も話さず、身じろぎもせず、 お互いの顔を、見つめていた。 しばらくたったある夜、 再び、彼女と出会った。 彼女は、最初のあの時と同じように、 にっこりと、微笑みかけてきた。 僕は、勇気を出して、彼女に尋ねた。 「君は、誰?」 彼女は、微笑んだまま、 「内緒。でも、あなたをいつも見ているわ」と、答えた。 そして、そのまま、去っていった。 またしばらくたったある夜。 三たび、彼女と出会った。 あの晩から、僕はずっと悩んでいた。 彼女はいったい誰なのか。 僕を知っている、彼女は誰なのか。 だから、僕は、 「ごめん」と彼女に謝った。 「どうして、あなたが謝るの」と彼女は言った。 「だって、君は僕のことを知っているのに、 僕が君を知らないなんて、失礼だと思ったから」 そう僕が言うと、彼女は、ふふ、と笑い、 「良いのよ。あなたが私のことを知っているはずが無いもの。 いえ、知っているけど、気付いてないだけよ。」 と答えた。 「そんな、知っているのに、気付いていないなんて。 やっぱり僕はダメな人間だ」 「ダメじゃないわ。私のこの姿で、気付くほうが、恐ろしいわ。」 「この姿、って、君は、いったい・・・」 「あら、おしゃべりが過ぎたようね。今晩は、これくらいにしておきましょ。」 そう言って、彼女は、微笑みながら帰っていった。 またしばらくたったある夜。 四たび、彼女と出会った。 しかし、彼女は、とても悲しい顔をしていた。 彼女のこんな顔を見るのは初めてだった。 「どうしたの、ずいぶんと悲しい顔をしているけど。」 「大丈夫よ、私の個人的なことだから。」 彼女は、とても大丈夫じゃない口調で言った。 「全然大丈夫そうじゃないよ。僕で良かったら、相談に乗るよ。」 「ありがとう、でも、これは、あなたに相談できることじゃないの。 相談できたとしても、あなたではどうすることも出来ないことよ。」 僕は、思わず、彼女の手をぎゅっと握り締めて、言った。 「僕ではどうすることも出来ないって、どうしてあきらめるんだ。 もしかしたら、僕にだって、何か手伝えることがあるかもしれないじゃないか。」 そこまで言って、はっと、彼女の手を握り締めていたことに気付き、あわてて、手を離した。 彼女の手は、少し、赤くなっていた。 が、彼女は、そんなことも気にならない様子で、 僕の顔を、あっけにとられた表情で、見ていた。 そして、少し微笑んで、こう言った。 「ふふ・・・そんなに他人のことに真剣になれるって、良いわね。 でも、やはり、あなたではどうすることも出来ないわ。」 「そんな・・・」 「だけどね、悩みを話すだけなら、してあげましょうか。 私の、家に、悪い人達が来て、勝手に喧嘩を始めたの。 私は、彼らに対して、何も出来ないから、ただじっと見ているだけだったんだけど、 そのうち、彼らは、家を壊すような武器を持ってきて、にらみ合いになったの。 家が壊れるのはいやだから、彼らもにらみ合ってるだけだったけど、 最近、その武器を使おうという雰囲気になってね。 どうせ他人の家だから、壊れても関係ないという思いがあるから・・・。 ね、あなたにこれが解決できるかしら?」 「できるよ。」 僕は、思わず即答していた。 「君の家に行って、その人達を説得するよ。さあ、案内して。」 「無理よ。」 彼女は、すげなく答えた。 「どうしてだい。確かに、僕なんかに来られたら、君も迷惑だろうけど・・・」 「いえ、迷惑ではないわよ、ただ、私の家は、ここから何日も、 いえ、何年も歩かなくてはいけないほど、遠いの。」 「えっ・・・では、君は・・・」 「ふふ、歩いてないから、すぐ来れるのよ。でも、あなたは歩かなくてはいけない。 だから、もう、間に合わないわ。」 「そんな・・・」 僕の胸のうちに、絶望感が広がった。 こんなに彼女が苦しんでいるのに、何も彼女にしてやれないなんて。 そして、二人の間に、長く、重い沈黙が流れた。 永遠とも思える沈黙を破ったのは、彼女だった。 「ふう・・・あなたに悩みを打ち明けたら、少しは気分が楽になったわ。 私がいなくなっても、どうしていなくなったのか、だれも分からないというのは、嫌だしね。」 「いなくなる、どういうことなの、もう会えないの。」 「そう、もう会えないわ。あなたにも、他の誰にも・・・」 彼女と会えなくなる。 そんなのは嫌だ。 僕は、勇気を出して、彼女に言った。 「家が壊されるなら、僕の家に来てよ、歓迎するよ。」 「ふふ、ありがとう。出来れば、私もそうしたかったわ。 でも、だめなの。 会えなくなる、では無く、いなくなる、だから。」 会えなくなる、というのと、いなくなる、というのは、どう違うのだろう。 もしかして・・・ 「死んじゃうって事なの?」 僕の口から、思わず、考えていたことが出てしまった。 「そう・・・人間で言うと死ぬ、という事かな。 でも、私の場合はいなくなる、見えなくなる・・・」 そういう彼女の目から、ポロリと、涙が零れ落ちた。 そして、涙をぬぐおうとせず、努めて明るい表情を装って、僕に言った。 「そうだ、君のために私の涙を残していってあげる。 私がいなくなっても、涙を見て、私のことを思い出してね。」 「えっ、それはどういう事・・・」 「いいから、さよならが悲しい顔なんて、嫌よ。 君ももっと明るい顔をしなさいよ。」 「う、うん・・・」 僕は、戸惑いながらも、作り笑いを浮かべた。 「そう、その表情。最後に、君の笑顔が見れてよかった。 じゃ、ずっとずっと、さよならね・・・」 そう言って、彼女は、僕のほうを何度も振り返りながらも去っていった。 僕は、なぜか、彼女の後を追えなかった。 ただ、いつまでも、彼女が去っていった方向を、見つめていた。 それから、月は、二度と地上を照らすことはなかった。 ただ、月のあった場所に、涙のようにきらめく、 光のかけらが、見えるだけだった。 |