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木曽 幸太郎さん (49歳/三原市)
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若い世代が協力できるよう、もっとアピールしたい。
一通の手紙を大切に持っている。
「神様がもう少し生きなさい、といってくれたのだから、勇気を出して頑張ることにしました。これから第二の人生をむだにしないように生きたい。ドナーの方への感謝の気持ちを一生忘れないでいたい」。
自分が骨髄液を提供した相手の女性からもらったものだ。提供のため広島赤十字・原爆病院に入院する朝、前夜に遅くまでかかって書き、コーディネーターに手渡した励ましの手紙への返事である。
造船所で働いている。「会社の同僚などにもいつもこの手紙を見せ、骨髄バンクへの協力を呼び掛けているが、なかなか反応がもうひとつなのが残念ですが…」。
幼なじみの友人が、リウマチで苦しんでいたことから「病気で苦しむ人の役に立ちたい」と思っていた。ある日、骨髄バンクの活動を伝えるテレビ番組を見て「これだ」と思い、すぐに登録した。骨髄移植の仕組みについてはほとんど知らなかった。
「もし、自分に万一のことがあれば、相手が死んでしまうのでは…」骨髄採取が決まって、実際に採取するまでの約半年のプレッシャーは相当のものだった。
職場には、見知らぬ人への骨髄移植に協力提供することを知らせ、理解を得て休暇を取っていた。しかし、検査などのたびに三原市から広島市まで通うのは負担になった。「広島に行くたびにみやげを持って帰り、ばかにならなかった」と苦笑したうえ、「三原でも検査ができるなど、受け入れ体制をもっと整えてほしいですね」と訴える。
若い世代にどうやって骨髄バンクをアピールできるかを、いつも考えている。「恐ろしいものだという誤解や、何回も検査に通うめんどうくささも障害になっている。ボランティアだと訴えても、若い人はなかなか動かない。それだけではなくて、自分や家族が将来、白血病に万一なった時に助けてもらうために、今、協力しておくんだ、という訴え方も必要なのでは」と感じている。
骨髄採取による健康への影響はない。「ただ、退院してすぐに徹夜で麻雀をしてしまい、さすがに先生に怒られました」と笑う。「私はもう提供できる限界(五十歳)が迫っているんですが、五十を過ぎても、どんどん取ってほしいと言っているんですよ」。
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