風雲編
では、次に第4図である。
第4図
後手:O氏
後手の持駒:角香歩
先手:藤田
先手の持駒:角桂桂歩三
第4図以下の指し手
▲1四歩 △同歩 ▲1九飛 △9九歩成
▲1三歩 △同銀 ▲2五桂打△2四銀
▲1三歩 △同桂 ▲1四香 △1八歩?
▲同飛 △1七歩 ▲同飛 △1六歩
▲同飛 △1五香 ▲同飛 △同銀
▲1三桂成△同香 ▲同香成 △1八飛
▲4九玉 △2六銀 ▲1四香 △2一玉
▲2三成香△1九飛成▲2九歩 △同竜
▲5八玉 △3二金 ▲4一角
第4図まで、先手は左翼において敵攻撃陣の各個撃破を目指していたのであるが、失着がありこれ以上の続行は困難となった。
ここは▲1四歩と転戦する。各個撃破とはすなわち敵に遊び駒を作らせることである。この前の時点までは相手の守備陣を遊び駒と想定していたわけだがそれに固執する理由はない。先手はこれまでの戦いで多数の戦力を手駒にした。左翼から撤退して敵の増援前にこちらの方が戦力が大きい。
▲1四香と出たところで、後手は飛車を殺しにきたがこれが疑問であった。先手は手番を得た上、多数の歩と香を得、さらに後手の銀を戦線から遠ざけることができた。先手玉は4筋、7筋の防衛線により広大な安全圏を有しており、飛車を打たれても十分な抵抗力があった。結果、後手は▲4一角まで防戦不能となってしまった。
先手には遊び駒といえるような駒がほとんどなかったのに対し、後手は飛車、香、更に2枚の金銀、さらに手駒の角さえも遊兵と言えるのである。もちろん、その潜在力は無視できないが、この場合は先手の狙いがうまく当たったといえる。
第3図において、陣を破るという戦術的な勝利をあげているのは後手である。しかし、1筋に戦場が移されてみると、5二、4四の金銀の働きが弱いのが解る。この二枚は、先手の中央〜左翼における動きを封じる役割を果たし、後手の戦術的勝利に不可欠な存在であった。反面、穴熊の戦略構想の根幹である玉を固めることが不完全となっており、先手が左翼から撤退した今、戦略的見地から一つの失点となっている。戦術上の勝利で、戦略上の敗北を覆すことができないということは、用兵学上では常識とされている。
本局と前局の将棋で、今ひとつ注目すべきは玉という駒の力である。
俗に平安将棋と呼ばれる双方が二枚落ちで指す将棋を指したことがおありだろうか。この平安将棋は、現在の将棋の原形と考えられているが、これにおける盤上最強の駒は当然玉である。飛車と角を除くと最強の駒である玉を戦力として活かさないのは戦略的に大きな損失である。我々はもっと玉の力を信頼してしかるべきなのではなかろうか。
なお、平安将棋については、もう一つ面白いことがある。平安将棋では、位を保つ、歩越しの駒を作らないといった将棋の原則がより際立った形で実感できる。そうして論理的な結論として、先後双方が最善を尽くせば当然相風車に近い陣形となる。もちろん、ちょっと考えればわかるように、穴熊などは必敗形もいいところである。
将棋とは、戦争のシミュレーションゲームの一種である。将棋の原形である平安将棋はその発想に基づいて創られたはずである。元来、将棋とは玉金銀などの将が、歩などの雑兵を操って戦うゲームなのである。大駒の登場によって将棋は変化した。歩や桂香が将帥の直接の指揮がなくとも、大駒の強力な支援によって前進することが可能となり、また、敵陣に大駒を侵入させることさえできれば他の駒が無理をして前進する必要がなくなったのである。この利点を攻め駒と守り駒の徹底的な分離により最大限に活用できるようにした戦法、それこそが穴熊なのである。その意味で穴熊は最強の戦法である。この戦法に対するに、同じ発想に基づいた戦法を持ってしても意味はない。全く異なった戦略思想による戦法を持ってこそ、戦略的勝利を得ることが可能になるのである。
果して穴熊が風車に勝つにはどうすべきなのか?次回、風車の弱点を解く!
第4図の解釈、後手が戦術上は成功しているが戦略的には失敗している、という解釈は正しいが、それは必ずしも2枚の金銀の遊びによるものとはいえない。むしろ、9筋攻めの無理により、2枚の金銀の存在意義が低下した、とするのが本当であろう。
当時、このような解釈を無理に下したのは、「できればガチガチに固めて欲しい。」と考えていた政策的意図が背景にある。これを書いていた当時はあまり一般に知られていなかったが、風車側として最も嫌な作戦は2枚の金銀を前面に押し出して風車の動きを封じる指し方である。当時は部内でも地区予選でも戦い続ける必要があったので、敢えて本論ではその手の指し方に触れないような記述になっているのである。風車にとって最もいやな作戦については、もはや大学将棋部のために勝つ必要がなくなってから書いた”盤上英雄伝説外伝”のテーマとなっているので、本音の部分はこちらを読んで欲しい。