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出会いとスケッチの旅 ロンドン編
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8月9日、「灘崎九条の会」が「九の日行動」の一環として実施した憲法学習会での、安東誠氏(高退教会員)による講演「自己責任論と憲法」の概略(安東氏作成のレジメ)を、前回に続いてご紹介します。 |
自己責任論が強烈に振りまかれたのは、2004年のイラクでの日本人人質事件だと思います。アメリカでさえ自国のジャーナリストが捕まれば救出に行きますよ。日本は危険なところに行った人が悪いと言わんばかりに突き放しました。2001年、小泉「構造改革」路線で竹中平蔵氏を起用し、労働者派遣法を緩和したり、「医療制度改革」などを行い、「派遣切り」や働いても生活できないワーキングプアの人たちが広がり、貧困と格差を広げてきました。貧困問題もコロナに感染しても自己責任。コロナに感染したら、まず、感染した人に手を差し伸べるのが普通の社会ですよ。歴代の自民党政権が、経済合理主義を推進し、自己責任を押し付けてきた。コロナがその問題をあぶりだしたのです。( 引用は「資本主義 を問うとき」 発言2021 赤旗 2021 1.3掲載) |
■日本国憲法25条と27条 <第25条> すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 <第27条> すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 (2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 (3)児童は、これを酷使してはならない。 |
自己責任だ』蔓延する弱者敵視 甘えるな。ずるい。自己責任だ。そんな毛羽立った言葉を耳にすることが増えた。でも、それは自分たちの首を絞めるだけなのではないか。日本国憲法にうたわれる「生存権」を持ち出すまでもない。いつか自分も、指をさされる立場になるかも知れないのだから。(編集委員・真鍋弘樹)段ボールを組み立てた細長い箱に声をかけると、赤いフードをかぶった若い男性が顔を出した。「今年の冬の寒さは、きつかった」 4月中旬、埼玉県川口市で路上に寝泊まりする人たちに声をかけるボランティアに同行した。生活保護の申請を勧められても、男性はあいまいに首を振って再び紙の箱に潜り込んだ。 「生活保護を受けるのは悪と刷り込まれている」。見回りをしながら弁護士の小林哲彦さん(52)は小さな声で言った。ともに「反貧困」の活動を10年以上続ける藤田孝典さん(35)は近年、見知らぬ人から非難されることが増えたという。 『救う必要ない』貧困支援に批判 〈そんなヤツら、救う必要ない〉。ツイッターやメールで寄せられる意見の8割が批判的な意見だ。「以前は励ましが多かったが、貧困は本人のせいだという声が大きくなった。弱者に寄り添うことがしんどい」 放置は社会損失 助けを求めるのは甘え。そんな空気が社会に染み出したのは、14年前のあの出来事からだろうか。今井紀明さん(32)は当時の記憶が一部途切れている。イラク中部ファルージャ近郊で、他の2人と一緒に武装勢力に拘束された。解放されて帰国した後、「自己責任」という言葉が18歳の生身に降り注いだ。100通以上の手紙が自宅に届き、ネットでは6千件以上のメッセージが寄せられた。多くが非難や罵倒、ときには脅迫だった。 〈自分の考えで危険を承知でイラクへ行ったのなら、国を責めるのはお門違い。バカヤロウ〉 今井さんは、住所が明記されていた何通かの手紙に返事を書いた。見ず知らずの自分になぜ敵意を向けるのか、それを知りたくて。ある人から再び、返信が届いた。障害がある単身の高齢女性だった。〈私は甘えることなく、一人で何もかも全部やっています〉 バッシングを受けた経験から、自己責任のはざまに落ち込んだ若者たちを支えようと、今井さんは定時制高校の生徒らを支援するNPO「D×P」を始めた。「可能性のある若者に手を差し伸べずに放置すれば、社会全体の損失になる」 確かにそうだ。みんなで自己責任を振りかざせば、社会全体が沈んでいく。 それなのに、弱者に厳しい風潮は、世論や行政すら巻き込んで広がっている。 生活保護に敵意 「保護なめんな(HOGO NAMENNA)」。そう書かれたジャンパーを神奈川県小田原市の生活保護担当職員らが着ていたことが昨年、発覚した。この問題に関し、市が設けた有識者らの検討会で座長を務めた井手英策・慶応大教授(財政社会学)は、全国から寄せられた投書を読んで驚いた。約2千件のうち、45%が「よくやった」と職員を擁護する意見だった。 「自分だって大変なのだから、生活保護を受けずに我慢しろ。そんな意識が根にある」。年収300万円未満の世帯が3分の1を占めるようになった日本社会で、経済的な弱者が別の弱者に敵意を向けている、と井手教授は分析している。(後略) 「朝日」2018.5.5 |