広島市役所と原爆被害 その二

原 爆 炸 裂 の そ の 時

 
●八月六日早朝

 八日、午前八時の庁内中庭における朝礼終了後、各課にかえった職員は、それぞれの持ち場についたが、統計課などでは、課内に神棚が祀ってあり、神棚にむかい柏手を打って拝んだ後、執務する前のお茶を飲んでいた。
 兵事課では、四日に可部の願仙坊に疎開していた聯隊司令部から持ち帰った召集令状を、岩原・影山両書記などが地区別に発送する仕事を急いでいた。また、秘書課では、四日のボーナス支給日が土曜日の関係で支給もれの職員があり、西平書記補が現金と給料袋を机にならべて、支給準備に取りかかっていた。
 
●原爆炸裂下の庁舎
 突如、何の前ぶれも、予告もなしに目もくらむ強烈な閃光が走った。窓の外がパッと白く光り、シュッというような音がした。瞬間、体がギュッと締めあげられたような、何とも言えぬ異変が出現した。時をおかず、ゴーッという物凄い地響きが鉄筋の建物も崩れよとばかりにとどろきわたってきた。誰もが無意識のうちに机の下に身を隠そうとした。が、その時すでに爆風は襲いかかっていた。
 窓ガラスや扉や本箱や、机などの壊れる激しい音と共に、机もろともはね飛ばされてしまった。それきり意識を失った者もいた。
●炸裂直後の庁舎
 あるいは、物の破片で負傷し、血を流す者もいた。
 何秒か何分か打ち伏したままでいた。立ち上がろうとしたが、足腰が思うようにいうことを聞かない。しかし、死んではいない。部屋の中は真っ暗闇である。お互い名を呼びかわし励ましあいながら、手探りで机や本箱のこわれた中を這いまわって、ようやく廊下まで出ることができた者もいた。
●庁舎内の混乱
 二階の秘書課で、閃光も轟音も知らず、突然に被爆した迫田周作文書係長は、いったん表に出たが、ただごとではないと直感し、引き返して屋上に駆け上がって市内を見た。そこには、全滅した市街の中を悠々と光って流れている川の姿だけがあった。再び自室にかえって救急袋を取り出し、急ぎ出血を手当すると、倒れている二・三人の同僚を助けた。
 部屋はますます暗くなっていき、一種のガス体が充満してきた。やがて、あちこちから火の手があがったので、迫田係長は他の職員を公会堂に逃げるよう指揮しつつ待避した。  庁舎内の至る所で鮮血を浴び、悲鳴をあげながら、そこここにうずくまりもだえる人、頭髪を乱し、夢遊病者のように右往左往する人があり、逆に庁外から逃れてきた人の群れで庁内は大混乱になった。
●炸裂時間の決定
 役所に近い千田町の自宅で、出勤しがけに被爆した野田防衛課長は、八時四〇分ごろ市庁舎につき、防衛課をのぞくと人影はなかった。
 少しして、迫田係長や中村精忠市長秘書などが来て、九人の人員になった。野田課長は、壁に掛かっていた時計がはずれて、ぶら下がっており、ちょうど八時一五分を示して止まっていたのを見て、炸裂時間を知り、「六日午前八時一五分に炸裂した」と公に報告した。
 これが炸裂時間の決定となった。
●庁舎炎上

 市庁舎の周囲は総計一万坪に近い空き地が疎開によって作られていたから、直撃弾を受けない限り、他からの類焼は無いものと思われていた。しかし、原子爆弾の熱線はこの予想を裏切り、炸裂と同時に庁舎前広場の北出入り口の前の消防車車庫、正面地下室と一階の県警本部室、内庭東南隅のバラック建て重油倉庫と、解体中だった土木用品倉庫支柱が発火し三〇分の内に消失した。これは庁舎に影響しなかったが、午前一〇時過ぎごろ、周囲の火災によって、ついに本庁舎も類焼し、午前三時ごろまで燃え続けた。

 大手町九丁目付近が炸裂とほとんど同時に発火し、民家が炎上した。その飛火が庁舎炎上の原因であったという。
 庁舎南部は、すでに鷹野橋教会まで建物の疎開が完了していたが、千田町一帯が猛火に包まれると、風速四〇b近い南風が発生し、その火災現場あたりから大は頭大の火の玉が庁舎に激しく吹き付けられてきた。
 庁舎は爆風によって、窓ガラスは一枚残さず破砕され、書類や机・戸棚などが無茶苦茶に散乱した。そこへ、外側に押し開かれた窓から、火の粉が雨の降るように飛び込んできて、ついに燃え上がった。



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