橋本みどりさん (26歳/呉市)
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家族の気持ちが、今になってよくわかります。
「この子が病気になっても、母親からは骨髄液はあげられない。まだ兄弟もいないから、他人に頼るしかないんですよね」。
骨髄液を提供した翌年に結婚し、今年6月に出産した橋本さんは、二ヵ月になる長女の寝顔を見やった。子どもができて、骨髄バンクの意義や健康のありがたさをあらためて考えたという。
骨髄移植では親子間ではHLAはまれにしか一致しない。骨髄液の提供後、相手先の本人だけでなく、その夫や母親からも感謝の手紙をもらったが、「その家族の気持ちが今になってよく分かります」。
骨髄バンクに登録したのは23歳の時だった。高校時代の友人が血液疾患で入院したのがきっかけで、「少しでも可能性が広がれば」とすぐに登録はがきを送った。以前からよく献血に行き、そこで骨髄バンクのパンフレットを読んでいたため、抵抗はなかった。
実際の移植までのたび重なる検査や手続きにもためらいはなかった。提供の際も全身麻酔のリスクを心配して、すぐにいい返事をしなかった両親も最終的には賛同してくれ、入院や手術はスムーズに終わった。「健康体で入院するんだから、わりと気軽でした。相手の方には申し訳ないけど、遠足みたいな感じでした」。
「特別な気負いはなかったけど、普通の生活ができるありがたさを実感した」という橋本さん。2人目の子を産む時は、骨髄バンクを補完する方法として準備が進む「さい帯血バンク」に、わが子のへその緒を提供しようと考えている。「自分で協力できることは、できるだけしたいんです」。
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