三橋 豊さん (50歳/庄原市)
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相手が元気だろうか、今でも気にかかる。
骨髄移植のドナーとなった記憶は、どうしても悲しい思い出につながる。
元気だった21歳の娘さんが、突然、急性リンパ性白血病で発病。骨髄バンクに患者として登録した。それまで骨髄バンクはまったくのひとごとだったが、それがきっかけになって夫婦でドナーとして登録した。その後、娘さんは骨髄液を提供してもらう相手が見つかり、骨髄移植手術を受けたが、拒絶反応のために一ヵ月半後、この世を去った。
それからしばらくして、ある患者とHLAが一致する、という知らせが届いた。「うまくいかなかったとは言え、娘に提供してもらった恩を返したい」。迷いはなかった。骨髄液提供の年齢の上限である五十歳が近づいていたため、「ぎりぎり最後のチャンスで提供できた」との思いもあった。
市役所で働く公務員である。幸いにもドナーになった時の特別休暇制度があり、検査などのため広島市にたびたび通うのは不自由がなかったという。そして提供の日。骨髄移植についてよく知っていたため、「全く不安はありませんでした」。ただ、娘さんのこともあるため、相手の様子が今も気にかかる。「何とかその後、元気でいてくれればいいのですが…」。
「骨髄移植というと、骨を切り刻むといったイメージが誤って伝えられている。そうではなくて、手術自体はそれほど大したものではない。成分献血の延長として、できる人はぜひ登録してほしい」と願っている。
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