6月1日(日曜日)作成
5月26日(月曜日)
いつものように、英会話の授業を受けて、ハローワークに行く。
適当に、選んで、面接の日取りを決めた。
面接のカウンセラーが、職務経歴書をかけとすすめられたので、
その書き方のマニュアルをもらった。
午後3時ころから、パソコンの専門学校で、
少し宿題のプログラムをやってみた。
「かなり難しい・・・」
そして、家にかえって、職務経歴書を書いてみた。
「適当に書いてみたけど・・・」
5月27日(火曜日)
英会話教室は予約がとれなくて、1時ころに、カウンセラーに
職務経歴書を見せに行った。
「書いたら、就職を斡旋してくれると言ったので」
いつもは、番号の紙をもらうんだけど、
彼の名詞をみせると、「ちょっと待ってて」、と言われて、
待たされた。
30分もしないうちに、放送で呼び出されて、
そして、カウンセリングをうけた。
そして、職務経歴書と、履歴書をみて、
コピーして、
「私の思うところがあるので、ちょっと待っててね。」と言う。
「こんな方法もあるんだと感心していた。」
職務経歴書や、履歴書の書き方なんて誰にも習わなかったし、
字も汚いので、
就職対策セミナーを受けることにした。
[6月3日午前9時(ハローワーク)]
午後3時ころから、またパソコンの専門学校で、プログラムの練習。
5月28日(水曜日)
今日は午後1時から、面接だった。
(英会話の授業はなし)
中区とはいえないような、辺境の地で、
おまけに、看板もなく、予定時間を過ぎていた。
やくざのような男の人と、面接だった。
「なんか、こんなのもあるんだ」とおもうと。
かなり恐かった。
すごく暑くて、背広を着ていたので、かなり、汗を書いていた。
電車の駅から、かなり歩いたので、背広は汗だく、
僕は、かなり、疲れていた。
いつも通りで、終わってしまった。
いつも通りで、「こんなところでは働きたくないな・・・」
と思いつつかえる。
今日はパソコンの専門学校には、
パソコンの練習は、できないと言われた。
夜には、会社から不採用の通知が会った。
5月29日(木曜日)
久しぶりに英会話の授業を受けた。
同じ無職の同年代の男の人がいたので、
なかなか、楽しかった。
僕は1日1コマしかとってないが、
たまたま、彼は次のコマが、あいていたので、
近くの喫茶店で40分ぐらい話した。
最近は、なんか何でもいいから、話したいと思うときがある。
多分寂しいんだと思うけど。
とりとめのない話をしながら、
「ああ、こんな話もできなくなるんだな・・・」
一人感傷に浸っていた。
午後3時からいつものように、パソコンで、プログラムの練習。
「プログラムって難しい・・・」
5月30日(金曜日)
今日で、英会話教室が最後だった。
いつも通り1時20分にいくと、
最近来た若い女のインストラクターとワンツーマンだった。
最近来たので、彼女のことを良く知らず、
色々質問してみた。
ずっと雑談で終わった。
英会話教室は名残惜しい。
とくに、美咲とか、葵とかの女の子には、かなり救われた。
なんか、自分がまともな人間になれるような気分にしてくれた。
とくに、美咲は優しかったし、精神的自慰で、セックスまでしたし。
この場を借りて、お礼を言っておきます。
「でも、もう多分あえないだろうね・・・」
ハローワークに行って、また次の面接。
面接の日取りが決まらず、携帯電話に連絡してくるとのこと。
「もうかんべんして、何のために、ハローワークにいくの???」
午後3時ころから、パソコンで、プログラムの練習
その時、携帯電話に、連絡があった。
月曜日面接。
あと、職務経歴書をかかせた、カウンセラーから、
今回はだめだったとの連絡が会った。
「ま、そんなものなのね・・・」
5月32日(土曜日)
いつものように、パソコン教室で、プログラムの講義。
午後3時ころ、眼鏡をかけているのに、視点がぼけて、
ほとんど何も見えない状態が、少しの間続いた。
「目を酷使しすぎてるのかも?」
白内障とか、失明とか、という新たな不安がよぎった。
「不安が増えても、どうしようもないけどね・・・」
プログラムはどんどん難しくなって、
落ちこぼれる寸前です。
ドロップアウトはこれ以上したくないので、
どうにか食らえ着いてきます。
日×韓戦、巨人×阪神戦を見て、
「どっちもすごい試合をしてるな」と思いました。
『いつ倒れるかどうかわからない・・・・』