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狩留家の歴史
江戸時代後期は、三篠川沿いや加茂郡など20カ村からの物資の集積場として繁栄した町で御本陣も据えられていた。

また、大正2年には、広島銀行の前身である芸備銀行の支店も出店されたほど賑わいのある地域であった。

史跡には、広島市の文化財指定になっている西八幡神社や御本陣など多くの史跡が残っている。
また、広島城築城の時の道でもある古道の中郡道は、ほぼ完全に残っており、まさに中世を感じさせられる歴史の町でもある。

狩留家という地名の発祥は、広島県市町村合併史によれば「狩留家は昔、皇室の領地で稲置狩倉がもうけられたことによる」とある。
稲置とは郷程度の皇室領を管理する職名で、狩倉は、御領家の荘園領主が、鹿皮やホジン(干し肉)などの安定確保のために設けられた狩場のこと。

狩倉には平素農民などが立ち入ることは一切禁じられており、常に獣が生息しやすい環境が保たれていた。
この狩倉には獲物を調理する「庫裡」ヶ設けられており、宿泊施設もあった。

このことから「もののふ」が、「狩」をして「留」まる「家」すなわち「狩留家」となったのが地名の由来とされている。











年表

 年次  出来事
 原始時代(〜600年) 石器時代にも人が住み小さな集落を形成していた 
 江戸初期(900年〜1628年) 江戸初期まで「たたら」製鉄産業が湯坂を中心に営まれた 
 延久年間(〜1069年) 荘園があった時代は、福田村の飛郷で狩猟場であった 
 保延5年(1139年) 狩留家の名前が初めて書類に登場した 
 天正17年(1589年) 毛利輝元広島城築城着手 「中郡道」普請 
 天正19年(1591年) 中郡道整備完了 
 慶長6年(1601年) 上深川まで三田船開通 
 慶長11年(1606年)  八千代村上根峠が開通
 寛永5年(1628年) 狩留家村が創立 
 寛永12年(1635年) 狩留家まで三田船が開通 
 寛永12年(1635年) 三田村 宮原まで三田船開通 
 寛永15年(1638年) 三田村 柳原まで三田船開通 
 元禄1年(1688年) 油を自給余剰分として商品化開始 
 元禄3年(1690年) 長田村まで三田船が開通 
 宝永5年(1708年) 狩留家(大畠屋)で水車油絞を開始 
 享保7年(1722年) 狩留家(大畠屋)で水車油絞の生産拡大 
 寛保2年(1742年) 徳川幕府が油の専売統制をひく 
 寛政10年(1798年) 広島藩が3ヶ所に藩営油御用所開設(狩留家、城下、瀬野) 
 明治4年(1871年) 油御用所は明治4年(1871年)の廃藩置県とともに廃止された 
 明治14年(1881年) 旧県道(現県道37号線)工事開始 
 明治18年(1885年) 旧県道(現県道37号線)開通 
 大正4年(1915年) 芸備鉄道(現JR芸備線)が広島〜志和地間で開通 
 大正12年(1923年) 三田船創業中止 
 昭和60年(1985年) 狩留家バイパス開通 

資料

 

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