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みんなで水車を組み立てよう            

  
狩留家の歴史書よりますと、宝永5年(1708)この狩留家で水車による
油絞りが始まっています。当時徳川幕府は、油の専売統制を引き、これを受け、広島藩は、3箇所(狩留家、城下、瀬野)に藩営の油御用所を開設しました。

 以来狩留家は油産業を中心とした活気ある町になり、人口も1604人(約200年前)となったのです。しかしこうして出来た油御用所も、明治4年(1871)廃藩置県で廃止されました。江戸時代163年間回り続けた水車は、人々の生活を豊かにし、様々な人々の出会いや風情を作り出した大きなシンボルであったのです。

  かねてより地元団体(社協・NPO狩留家)では、このシンボル的存在であった水車を復元し、かっての活気ある町狩留家を創造するきっかにしようと考えてきました。

  この度、広島市未来都市創造財団・地主の方々・地元の企業や人々・長野県安曇野の水車工房等多くの方々のご理解とご協力を得て次のように、直径3mの大水車を皆様と共に組み立てる事にしました。ついては1人でも多くの皆様が組み立て(見学)に参加して下さる事を願って、次ぎの様にご案内します。

 


      

:平成26年 
30分〜14
  雨天決行

:広島市狩留家町から東広島市(志和)に通ずる道路沿い

狩留家町湯坂口(信号)より東広島方面に約2,2q        (矢印に沿って来て下さい)

問い合わせ先: 狩留家社会福祉協議会・特定非営利活動法人NPO狩留家

                     電話 082−844−7278


 


「てくてく中郡古道プロジェクト」主催「第一回バスツーリズム」開かれ100名が参加し歴史をたどる

2013年1月19日

「てくてく中郡古道プロジェクト」主催の史跡めぐりが開かれ100名を越す参加者が歴史あふれる町なみをたどる散策を楽しんだ。

 「てくてく中郡古道プロジェクト」は、歴史をたどるツーリズムや交流会を開き地域の活性化をすることを目的に広島市安佐北区の深川、狩留家、三田、井原の郷土史研究会と特定非営利活動法人NPO狩留家がプロジェクトを立ち上げ町おこしの企画としてが実施されたものだ。

昨日は、高陽公民館、白木公民館と共催し「深川〜井原の史跡をバスと徒歩で散策」する取り組みで天気にも恵まれ各地域から100名の参加者が集まり朝9時にJR下深川駅をバス2台で出発した。


一行が、まず訪れたのは、中深川の明光寺だ。


次に狩留家の順正寺、薬師堂を見た後、中郡道を散策した。

     ↓ 順正寺の境内

順正寺は、天文5年(1536)武田四郎尉重信(武田信玄の叔父)が、戦乱を避けて来狩氏、古城の館跡に草庵を造って開基したと伝えられる。



      狩留家の中郡道を散策

中郡道(なかごうりどう)とは、毛利輝元(毛利元就の孫 1553〜1625)が、広島城築城にあたり、吉田郡山城から広島城までの人や資材の往来に一番適した平坦で最短距離の道を作るために普請した道が中郡道と呼ばれる道だ。


    狩留家の本陣(割庄屋)屋敷を視察

御本陣とは、「大名が宿泊する公認の宿舎」のことで、狩留家村にも置かれていた。
現在の黒川家で、江戸時代には、屋号を住田屋と称していた。
玄関を入ると正面の棚の上に「御本陣」と墨書きされた木札が置かれている。
    




    ↓その後、狩留家集会所で昼食休憩。
ここでは、NPO狩留家の「アグリ部会」、男の料理教室グループ「わっはっは」のメンバーが協力して地元で取れたイノシシの肉を使ったシシなべが出され参加者には、大好評だった。

     狩留家の特産物の漬物やジャムなども販売された。



   昼食休憩が済み一行は、狩留家からバスに乗り三田橋で下車、中郡道を歩き楢崎圭三氏の碑を見学した。

   楢崎圭三氏の碑を見学




     中郡道を通り最後の山崎山神社に到着した。



参加者からは、広島近郊(市内から30分)にこんな史跡があるとは思わなかったとの感想が寄せられた。

今回のツーリズムの取り組みは、昨年に続き第2弾となるが、地元の人も知らないような史跡や町なみが再発見できた有意義な取り組みとなった。

なおこの取り組みは、1月21日(月)夕方6時15分からRCCテレビで放映される。

2013年1月12日(土)

狩留家集会所で第一回狩留家特別講演会が開催された。
この講演会は、NPO狩留家が主催し町内会上げての取り組みとなり参加者は、100名を超え大盛況となった。

講演会の講師は、長年中国新聞社の社長をされていた著名なジャーナリストの今中 亘氏だ。
実は、今中氏は、狩留家で生まれ育った方で地元の誇りでもある方だ。
NPO狩留家でこれからすすめていこうとしているまちおこし、まちづくりのヒントになればという思いをこめて「広島市の戦後の復興にまつわるトピック」と題して1時間講演をされた。



■まちづくりのヒントにと最初に話されたのは、東日本大震災の復興のために今中氏が現在取り組んでいる「原爆市長」を東日本大震災の被災地へ送る運動の取り組みだ。

東日本大震災の惨状は、1945年8月6日の「ヒロシマ」の惨状そのもので、被災地の復興のために被爆地ヒロシマの復興がどのようにして成し遂げられたかを知ってもらうことは、被災地の皆さんへエールを送ることにつながるとして、ヒロシマから何が出来るかを考えたそうだ。
そして、その具体化として故・浜井信三広島市長の手記「原爆市長」を復刻させそれを被災地に送る運動が始まった。

被爆者であり戦後初の公選市長として4期16年、広島復興の回想録は、1967年に「原爆市長」の題名で出版され、単なる復興ではなく新たな価値観に基づ く使命感と象徴性を持った「平和都市」として広島を復興させた。6年前に遺族により復刻版が発行され、昨年は英語版も発行され反響を呼んだため、これを被 災地に送ることで「ヒロシマの心」を届け、東日本の被災地が廃墟から立ち上がったヒロシマの教訓を生かし未来へのビジョンある復興を成し遂げることが出来 ると思い運動が始められた。

故浜井市長の著書「原爆市長」復刻 被災地へ  (中国新聞)

この本の印税は全額被災地へ送られるそうだ。

■今中氏が、次に紹介されたのは、中国地方の中山間地でまちおこしをしている小さな会社の取り組みだ。

有限会社エヌ・イー・ワークスという会社は、中山間地域の未来予想図として「地方には輝きを放つ熱い志を持った人がいる。マネの出来ないすばらしい歴史と ロマンを持つ必要がある。豊かな自然に育まれたすばらしい地域資源がたくさんある。しかし、つながらなければ何も始まらない」として新しい発想で!新しい 技術で!新しい感覚で!「人」「もの」「心」をつないでいくことを会社の使命として取り組みが進められている。
そして今中氏がその会社で作られたお菓子をお土産で持ってこられたものを見せていただいた。
そのお菓子には、押し花がつけられ大きな反響を呼び大ヒット商品になっているのだそうだ。
その地域の特徴を生かし新しい発想で新しいものを作り上げていくことがヒットにつながったようだ。

わが町狩留家でもこういった取り組みが出来ればいいと思う。

おりしも一昨日NHKで20時から「あいたい 森の恵みは無限大」という番組が放映された。
岡山の美作市での取り組みで過疎地で限界集落に若者たちが次々にやってきて里山を整備したり棚田を再生させたりした取り組みだった。そこにもこれまでには無い新しい発想や感性があり若者たちが目を輝かせて町の再生に取り組んでいる姿に感銘を受けた。

我が町、狩留家でも新しい発想・感覚でいろいろな取り組みをしていきたい。

■最後に今中氏が紹介されたのは、隣の区の安佐南区で10年前から行われている「あさみなみ区民大学」の取り組みだ。
区民大学は、毎年4つのコースで行われ各コース50人の定員だが、申込者が多く受講生は抽選で決まるのだそうだ。4つのコースは、A、魅力的なまちの顔づ くりコース、B,笑顔と安心のふれあいコース、C、土と緑の贈り物コース D,学びと文化・交流を育てるコースですでにこれまでに延べ1500名の方が学 ばれたそうだ。年に7回行われ年の受講料が2000円と安いのも人気の秘密だそうだ。
安佐南区は、広島市の中で一番大学が多い地区でそれぞれのコースの講師陣には事欠かないようだ。
ここでもその地域の特徴を生かした取り組みが進められていた。

我が安佐北区にもこのような学びの取り組みがあればいいのだが・・・。

■今回の講演会は、初めての取り組みだったが、毎年新春にこのような学びの場が継続できればいいと思う。

講演の後は、地元の民謡愛好会による歌と踊りを見た後、第二部では、酒を酌み交わしながら狩留家の未来をみんなで語り合った。

残念だったのは、講師の今中氏を囲みながら狩留家を語り合いたかったのだがそれは出来なかった。

しかし、100名超える人が一同に会し、町づくりについて考えたことは非常に意義深い。

そして話していると狩留家には、さまざまな才能を持っているユニークな人がたくさんいることを発見した。

今中氏のような著名なジャーナリストを筆頭に農業、林業、漁業、教職員、JR職員、JA職員、水道、建築、薬学、和太鼓、民謡、料理、ゴルフ、ボウリン グ、野球、カラオケ、グランドゴルフ、ペタング、絵画、写真、詩吟、音楽、・・・などなどさまざまなジャンルの達人・元達人たちがたくさんいた。

多くの人々の持っている能力や知識、技術を引き出せば狩留家の町おこしにつなげていけるような気がしてきた。
狩留家をもっといきいきとした町にしていきたいとの思いを一つにいろいろな取り組みをこれからしていきたい。


〒739-1753 広島市安佐北区狩留家町3544番地1号
特定非営利活動法人NPO狩留家
電話:082-844-7278
代表:黒川章男
メール:bz144474@bz.plala.or.jp

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