’97.10月から’98.2月分・’98.3月から8月分・’98.9月から12月分
’99.1月から3月分・’99.4月から6月分・’99.7月から9月分・’99.10月から12月分
’00.1月から3月分・’00.4月から6月分・’00.7月から9月分
12月31日(日)今年もお世話になりました
いよいよ20世紀も最後の日となった。明日からは21世紀だ。
今年もいろんなことがあったが、とりあえず今日で総決算。新たな気持ちで新世紀を迎えよう。
Wellcome new Genesis!
and a happy new Year!
これからも創さんのほめぱげをよろしく!
12月23日(土)♪ひとりで寝る時にゃよ〜♪膝小僧が寒かろ〜♪
Go Westのコンサート、例によって宇部市役所の軽音楽部定期ライヴが来年2月9日(金)に予定されている。初めは今年の暮れの予定だったが、部員の最大公約数をつめていくと結局この日に落ち着いた。
一口にアマチュアバンドと言っても、「いつかは」とプロデビューを目指してるバンドから、「楽しむ」ことを大前提にやってる完全アマチュア思考のバンドまでその幅は大きい。うちらGo Westはもちろん後者に属する。とはいえ、メンバーみんな基本的に音楽好きでバンドおたくな面を少なからず持っている連中ばかりなので、コンサートが近づけば練習にも力が入る(としておこう)。
で、社会人バンドの場合、本番はもちろん練習の時間を合わせることが非常に難しい。いまのバンドはメンバー全員職場が違うので、それぞれの業務の都合で練習時間が合わないこともあるのだが、それでもおなじ役所の職員という事は他の社会人バンドに比べれば大きなアドバンテージだ。実際わしも前のバンドの時はメンバー全員仕事が違い、中には三交代制の職場の者もいたりして、練習の時に全員揃わないこともしょっちゅうだった。酷い時には本番に揃わなかったこともある。
うちのバンドは基本的にオリジナルの曲中心だが、2、3曲くらいはカヴァーも演奏する。最近なかなかゆっくりと曲を作ることが無くなってきた。ホントはいざ作ろうと思っても、なかなかアイディアがでないのだが良いフレーズを思いつくのが決まってとんでもない場所なのだ。例えばトイレの中とか、クルマを運転している時とか、・・・。で、すぐに忘れちゃうんだわな・・・。
12月15日(金)♪モスラ〜っや、モスラ〜♪
昨日の忠臣蔵からガラリと変わり、きょうは我が国が世界に誇るスーパーウルトラモンスター『ゴジラ』について。何のことは無い。たまたまTVのリモコンをぽちぽち押したら、深夜劇場で『モスラ対ゴジラ』をやっていた。この日記はその番組を見ながらへこへこキーボードを叩いている。今ちょうど122万4千5百60円でモスラの卵が売れたところだ(笑)。
この映画を日記の題材に取り上げたのは、ちょいと理由がある。というのはこの映画、わし的に思い出の深い映画でもある。あれはまだわしが4歳の時だ。両親に連れられて観に行ったのが、この『モスラ対ゴジラ』。で、この『モスラ対ゴジラ』がわしの人生の中で一番最初にはっきり『映画』として認識された作品でもある。もちろん現実とか虚構とかそういったものはわからなくて、基本的には信じ込んでしまった。その衝撃は並大抵のものじゃない。特に印象に残っているのは、ゴジラが土中から姿を現すシーン。これはわしのイノセントなハートが握り潰されそうになった。そして都会を蹂躪するゴジラ。このシーンでは、
『ああ・・・。とかいは恐いトコじゃのー・・・。ゴジラが出るけえー・・・』
と真剣に思ったものだ。映画から帰ったわしは興奮が収まらず、親父の缶ピーの空缶でゴジラ人形を作ったぐらいだ。
そしていつのまにか、この映画でゴジラが破壊したのは東京だと思い込んでいたのだが、それが間違いであることに気がついたのは大学一年の春休みだ。再びこの映画を見る機会がやってきた。
当時わしは名古屋にいて、一年の春休みのある日、ひょんなことから学生寮の近所の小学生どもをドラエモンの映画に連れて行く羽目になった。その時に同時上映されていたのがこの『モスラ対ゴジラ』だったのだ。懐かしさから一生懸命観ていたら、
「あれれ???」
「あ・・・」
「ゴジラが暴れたのは・・・」
「名古屋だがや〜〜〜!!!」
なんとお膝元の名古屋、それも栄の中心地から名古屋城にかけてだ。まあ宇部の大和タワーしか知らないハナ垂れ小僧には、東京タワーと栄のテレビ塔の区別がつかなかったのだ(爆)。よく見ると愛知県庁に名古屋の市バス、今は無きオリエンタル中村もしっかり映っている。このこともある意味、大きな衝撃だった。
それにしてもこのゴジラ、よく見ると少々間抜けである。テレビ塔や名古屋城を破壊するシーンだが、テレビ塔は尻尾を引っかけて前のめりになり、そのままずるずると倒すだけだし、名古屋城は堀に足を取られ、お城に倒れそうになったのでそのままなし崩し的に天守閣を破壊するのだ。もちろん演出の意図は違うのだろうが、どうしてもそのように見えてしまう。
ただ名誉のために言っておくが、数あるゴジラの歴代着ぐるみの中でわしが一番ゴジラらしいと思うのはこの『モスラ対ゴジラ』の着ぐるみだ。公式に一番人気は『キングコング対ゴジラ』のものらしいが、わしはこっちの方が恐いと思う。特徴としてはまゆげ?があってほほ(口元)の肉がぷるぷる揺れるところだ。ゴジラが人間の敵なのはこの作品までで、その後は最大のライバル『キングギドラ』の出現により、ゴジラは地球を守る正義のヒーローへと変貌し、着ぐるみから怖さが消え、挙げ句の果てには『しぇ〜』までしてしまう。この頃にはわしもゴジラを観に映画館へ行くことは無くなっていた・・・。
世界でただ一つ、原子爆弾の洗礼を受けた国、日本。しかしその日本でも戦時中は原子爆弾が研究されていたのはみなさんもご存知のとおりだ。そして相次ぐ原発事故。それはほとんどが人災で、東海村の事故などは現場の人間が自分達の扱う放射能燃料についてほとんど何も知らないという、我が耳を疑いそうな状況で起きたものだ。また山口県でも原発建設の是非について長い間激論が続いている。
昭和29年に生まれたゴジラには、『生まれてきた明確な理由』があった。
12月14日(木)目指すは本所、松坂町!
やはりこの日のテーマといえば「忠臣蔵」しか思い浮かばない。昨年のこの日も忠臣蔵について取り上げた。
今年もそうしようと思うのだが、今回は少し目先を変えてもう少し登場人物について考察してみましょー。
今朝のテレビで、あなたにとって「大石内蔵助」といえば、誰を思い浮かべるか?というアンケートを取っていた。やはり、というか、長谷川和夫が上位に入っていた。それを抑えたのが昨年の大河ドラマの主人公で歌舞伎役者の中村勘九郎、さらにそれを抑えたのは、高倉健だったのだ。去年の12月13日のdiary of the madmanでも触れたが、高倉健の大石内蔵助像は今までのものと違い、純粋な忠臣というよりももっとどろどろした感じで、幕府の仕置きに納得のいかない反骨の武士という面が強く押し出されたものだ。確かに映画の忠臣蔵作品の中では最も新しく(といっても、6年前だが)、演じたのが『健さん』とくれば、それだけに印象が強かったのかもしれない。
また、中村勘九郎の場合は歌舞伎役者という事もあり、今風の大石を演じたとしてもやはりどこかに昔ながらのみんなが知っている大石内蔵助のイメージがあったのだろう。もちろんこれは、どっちが良いとか悪いかとかの問題ではなく、物語の解釈、作品の造り手の思惑が大きく絡んでいるからこそだ。そこにエンタティンメントがある。
で、きょうのテーマは人物像である。
大石内蔵助を表す言葉で有名なのが、【昼行灯(ひるあんどん)】という言葉だ。行灯というのは、お分かりだろうか?昔の照明器具で、なたね油を皿に入れて芯を通し、灯を点して周りを覆ったアレである。当然夜に使うので、昼間点けていては火が点いているのかいないのかわからない。早い話が目立たないのだ。存在感のない奴ということだ。ただしこれも本当かどうかといえば、一概には言えない。
わし等の知っている『忠臣蔵』のお話は、実は歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の影響をかなり受けている。例えば義士が討ち入りの祭に身につけていた火事場装束や、各所に繰り広げられるロマンス、そういったものはこの仮名手本忠臣蔵から来たものだ。その中には大石内蔵助の人物像もある。だからいままでわしらがTVや映画で観てきた大石内蔵助のイメージが、そのまま実際の大石像とは限らない。
ただどんな人間にせよ、やはりこれだけの大事件を指揮し、成功に導いたのだから、彼のチームリーダーとしてのパフォーマンスは相当なものだ。実際、国家老としての彼の手腕は確かなもので、藩内での調停、他藩とのかけひきの時には目を見張るものがあったという。それを『昼行灯』などと称するのは、物語を面白くするための脚色に他ならない。スーパーマンだって普段はうだつの上がらない新聞記者クラーク・ケントだしな。
前にも書いたが、ヒーローは昼行灯に限る。
12月13日(水)我、四十にして惑いっぱなし
四十歳となりて「不惑のとし」という表現をする場合がある。誰の言葉だったか忘れてしまったが、わしの場合はいまだ惑いっぱなしだ。
周りを見渡せば、同級生はみんな(除極一部)いい親父やお袋になってる。早くに結婚した奴なんかは、子供が高校生なんてところもある。ま、実際早く結婚したからどうとか、未だに独身だからどう、というんじゃないが、さすがに「人生四十年」となると、大きな節目なのだと漠然と感じてしまう。
まあ、その極一部の中でも庵野ちゃんは今年は『式日』がブレイクしそうだ。12月7日に公開されて明日でちょうど一週間。ただ、悪いことに初めの日曜日10日が東京都写真美術館の休館日だそうで、知らずに出かけて観損ねたお客さんも多かったようだ。その次の17日(日)も休館らしいので、行こうとしている人は必ずチェックして欲しい。
さてと、先日久々に投稿作品をいただいたので、ファンフィクションにも少し触れておこうか。
96年に新世紀エヴァンゲリオンがTV放映され、97年にはあの劇場映画「シト新生」「AIR/まごころを君に」が公開、一大ブームを巻き起こしたエヴァ現象は世紀末を駆け抜けた。その後も一時の大騒ぎはなくなったものの、98年には山口県宇部市の中央町銀天街では『特別展:庵野秀明の世界』が開かれ、短期間にせよ宇部市内のスポットが大賑わいとなった。
少なからずエヴァにはまってしまったわしは、ファンフィクションというものの存在を知り、読み漁っていくうちにとうとう自分でも書いてしまうという暴挙に及んだのだが、たとえ二次創作物といえいかにほかの作品との差別化をつけたかったわしは、手話や福祉問題を作品の中に取り入れることにした。これにより、自分の行っている活動のPRも狙ってしまおうという姑息な手段だ(笑)。
おかげさまで、他の大手エヴァサイトほどではないにせよ、いろんな方から励ましのお言葉を頂いた。もちろん中には厳しい御意見のものもあったが、こういう形で福祉問題をPRできることが分かったということは、新しい分野の開拓にもなった・・・のか?>ちと大袈裟か・・・
最近はまったくもって更新停滞中だが、ほそぼそと書いてはいるのでな。すまんです。
んで、わしの作品はともかく、昨年の緒方さんに続き、今回の流れる星の流れ星さんと、かなり若い人(だと思う)からの投稿が続いた。
彼らははじめから物書きを目指している人たちなので、作品の感想をぜひ送ってあげて欲しい。
12月12日(火)うへへ・・・
ま、そういう事ですわ・・・
12月10日(日)ひっさびさ
投稿作品をいただいた。久しぶりのエヴァサイト事業だ(爆)。
作者さんは今回が処女作品らしい。もらったメールには、投稿を決心するまでのドキドキな様子が書いてあった。
戴いた作品は2本で、短編と中編?だ。アスカとシンジのお話なので、LASな人はお楽しみに。
12月8日(金)きのうはわたしの誕生日だったの・・・?
なんといっても今週の話題は、昨日7日に東京都写真美術館にて『式日』の公開が始まったことだ。わしらはすでに8月に一回、某月に一回と、すでに2回見ているのでネタをばらさないように細心の注意をはらってきたが、もう一週間もすればなんでもOKになるな。
前夜祭企画も大好評のうちに終わったようで、まずは順調な滑り出しといったところだ。どこかのTVが初日の様子を取り上げないかしらんと思ってTVのニュースは注意していたが、見つけられなかった。
そういえば、TVといえば、昨日は金夜はロック座の放送日。懐かしのハロウィンやジョン・レノンだったが、なんと!わしの出したE−mailが紹介されたぞ〜〜〜〜〜!!(ぱふぱふぱふ〜〜どんどんどん!!)
いやー、中学生の頃、「おーるないとにっぽん」にいくら手紙を出しても読んでもらえなかったが、さすが地元TV(笑)。一ヶ月くらい前に出した奴なので自分でも忘れていたところ、突然の紹介!いいもんだねー。ちなみにペンネームは創@ギブソンエクスプローラ。
12月1日(金)Final count down
とうとう今世紀最後の月に突入した。と言ってもいままでの歳の暮れと比べてたいした違いはない。
いや、本庁を出て初めての暮れという点では、今までとは違う。
センターでの歳の暮れというのが別に特別なものというわけではないが、やはり本庁に比べて地域に密着している分、雰囲気というか、そういうものが生活感にあふれている。
例えば、地域には連合自治会を始め、環境衛生連合会、民生児童委員協議会、校区社会福祉協議会、交通安全対策協議会、などの各種団体があり、その会長さん達が一日一回は必ずといっていいほど何らかの用事でセンターに顔を出す。その人たちの会話の中にも年末年始を感じさせる言葉が増えてきた。これは、わしの今までいた職場では経験できないことだ。
一人暮らしをしていると、一年の流れを暑さ寒さで感じることはあっても、年中行事などにはどうしても無頓着になりがちだ。その意味では非常にありがたい。特に去年は年賀状も出せなかったので、今年はその分がんばって書かなくちゃな。
もうひとつ。12月といえば今年は平成12年12月12日と三並びになるな。
当日締め切りで贈物受付開始!
ということでよろしく。(あ〜〜〜〜〜大台だ〜〜〜)
11月28日(火)不覚・・・
このあいだの日曜日、左手の親指を負傷した。
玄関のドアでつめたのだ。
非常に痛い・・・。
なんでつめたかは今は言うまい。最終的にはわしがどじを踏んだのさ。それは間違いないんだ。
ま、それはそれとして、やはり困るのコトよ。
普段は気がつかないが、たとえ利き腕ではないにせよ、いかに親指が大切か思い知らされる。余談だが、南太平洋のどこぞの部族はその昔、家族が死ぬと指を1本ずつ切り落とす風習があったそうだ。そのときでも親指だけは切り落とさなかったという。わしが小さい頃『すばらしい世界旅行』(元祖♪この木何の木♪?)という番組でやってたのだ。両手の指をきれいに落とされ、親指だけになったばあさんが器用に芋の皮をむいていたのが印象的だった。
んで、話を戻そう。なかでも苦労するのが車の運転だ。ご承知のようにわしの車は、足を使わなくても良いようにすべて手で操作するようになっている。そしてそれはほとんどが左手の役割なのだ。例えば、
1.サイドブレーキが降ろせない。
2.手動式ブレーキの固定ボタンが押せない
3.シートベルトのバックルが解除できない。
などなど、左手の親指でポッチを押す動作が痛くて出来ないのだ。仕方ないので右手で代用しているが、特に2.の動作は、車庫入れや縦列など前進バックを繰り返す時には大騒ぎものだ。
そして最も憂慮されるのは、
ギターのネックが握れない!
ことにある。今まではこんな事の無いように、手の怪我だけはしないように気をつけてきたのに。ふぅ
なんでかなあ・・・。
一応年末にライヴを予定しているので、何とか早く治さないと・・・。
11月24日(金)赤城の白い彗星(笑)
しまった・・・。わしとしたことが・・・。
しもまきさんに先を越されてしまった・・・。
NHKのプロジェクトXだ。
その時のテーマはマツダのロータリーエンジン。その開発とル・マン制覇までの道のりを描いたものだ。2周連続で放送されたんだぞ。
日本グランプリでスカイラインGT−Rの独走を止めたのは、マツダサバンナRX−3(RX−7の前身)だ。帰ってきたウルトラマンの『マット・ビークル』は、コスモ・スポーツなんだぞ。「夢のエンジン」ともてはやされたかと思えば、「銭食いエンジン」とこき下ろされ、その歴史はまさに波瀾万丈だ。特に70年代に起きたオイルショックの時には闇に葬られそうになった。しかしロータリーエンジニア達は、自らの信じた道を突き進み、ついにサルテサーキットを征服したのであったぁ!
出演したのはずっと開発に携わり、ル・マンではチーフエンジニアとして787Bを優勝させた人と、長年にわたりマツダの契約ドライバーだった寺田陽二朗さん。
って、番組だったんだがな。
この二人なくしてはマツダのロータリーの歴史は語れないくらいの人だ。番組の進行に欠かせないのは当然だ。
ただ、ロータリーが出場できた最後のル・マン、つまり787Bが優勝した時、そのクルマを運転していたドライバーのことが全く語られなかったことが引っかかるのだ。番組では寺田さんがあえてこの車を運転せず、外国人ドライバーにハンドルを託した・・・とは伝えていたのだが・・・。
番組の構成を今更どうこう言っても詮無いことだが、やはりこの時に車を運転していた選手のことは、せめて名前だけでもはっきりと伝えて欲しかった。それがなかったために、せっかくの番組がわしにはちょっと消化不良気味に映ってしまった。
番組の最後、9年ぶりに再会したMAZDA787Bに寺田さんが乗り込む時、ドアの脇に書いてあった、
ヴォルカー・バイドラー
ジョニー・ハーバート
ベルトラン・ガショー
の3人の名前が、少し寂しげに見えたのは、わしだけだったのだろうか・・・。
ここのところずっとマツダのクルマに乗り継いでいるわしだが、ロータリーエンジンには未だ乗ったことがない。
機会があれば一度はドライブしてみたいな・・・。
私信:しもまきさんへ
おかあさん、お具合いかがですか?
11月15日(水)ロック座の謎
『ロック座』と聞いて、何を思い出す?奇麗なおねーさんが舞台の上で踊る姿を思い出した君、そう、君のことだ(笑)。
にやり・・・
ま、残念ながら同じロック座でも、このHPで出てくるロック座の「ロック」は、Rock’n’Roll、つまり音楽のほうのロックだ。
山口に『KRY山口放送』という日テレ系の地方局がある。そこで放送しているのが、毎週木曜日の深夜(日付は金曜日)の『金夜はロック座』という番組なのだ。30分程度の番組なのだが、洋楽(主にロック)のビデオクリップを、新旧織り交ぜながら3〜4本程度紹介するのである。実はこの番組、5,6年前に一度放映していたのが終了し、今年になってまた復活したのである。
そしてまた、この番組の内容が濃い。どのぐらい濃いかというと、
1.女っ気が無い
あっちのロック座と違い、女っ気ゼロの番組である。
2.MCが濃い
MCはKRYの渡辺アナウンサーと、地元のミュージシャン?山本由起夫という人の二人だが、両名とも40代である。この二人が毎回いろんなスポットに出没し(夜中の学校、夜中の会社、夜中の公園、夜中の田んぼ、夜中の女子寮?etc)、ときには訳の分からん被り物に身を包み、山口弁をまくしたてて進行するのだ。例えば、
W「今回はあれですよ、マイケル・シェンカー特集!」
Y「おお!それそれ!フライング・アローっちゅうそいね!」
W「スコーピオンズのルドルフ・シェンカーは、兄さまじゃけえね。」
Y「ほれ、このジャケット(MSG武道館ライブ)見てみいや。わしゃあ、見に行ったでね。これこれ、ドラムはコージー(パウエル)!オープニングのSEがあの♪ちゃーちゃちゃちゃちゃーちゃーちゃちゃちゃちゃーちゃー・・・」
W「地獄の黙示録!!」(カメラに向かってビシッと人差し指を立てる)
Y「えー、で、きょうの一曲目はマイケル・シェンカー・グループ、ファーストアルバムから、アームド・アンド・レーデイ!」
W「このクリップ撮ったときゃあ、まだ面子が揃うちょらんかったけえ、ゲイリー・バーデンとマイケルの二人しか写っちょらんそいね。」
意味わかった?
とまあこんな感じの番組だ。だがこの二人、仕事というよりは、完全に自分の趣味の世界に入っているので、番組に対する思い入れが尋常じゃない。おまけに世代的にもわし等に近いため、わしにとってはまさに『痒いところに手が届く』番組なのだ。渡辺アナウンサーは、普段はスーツをバシッと決めてニュース原稿を読んでいるが、この番組には亀の剥製を片手に、自分で貼ったジミー・ペイジ紋章付きのシャツを着てさっそうと登場する。ちなみに明日は、『ガンズ特集』だ。
話は変わるが、この日記の題名『Diary of the Madman』は、元ブラック・サバスのヴォーカル、オジー・オズボーンの同名曲から取っている。
まーくん(28歳:既婚)は、うちのセンターのエースだ。仕事もてきぱきこなすし、お客さん達にも人気がある。おまけに「型がエエ」>金夜はロック座ふう
そのまーくんが金魚の飼育に凝り出した。
ことのおこりは、先日のふれあいセンターまつりからだ。
下の11日の日記の補足になるが、校区社協では「金魚すくい」もやっていて、まーくんもその手伝いを担当していた。日曜日の午後、まつりもそろそろ終わりに近づき、金魚も残り少なくなっていた。売れ残っても困るので、最後のほうはほとんど投げ売り状態だったのだが、それでも十数匹の金魚が残ってしまった。すると水槽の横にしゃがみこんでじっと金魚を見つめていたまーくんが、
「残りの金魚、全部ぼくが買ってもいいっすか?」
早速彼はセンターの倉庫からバケツを持ってくると、水槽の金魚を移してしまった。
ところがここからが問題だ。彼の家には水槽が無い。実家に帰れば余った水槽があるらしいが、なにぶん宇部から遠い。ただ、近くにホームセンターがあるので、購入できないことはないのだが、まだ奥さんの了解をもらってないのだそうだ。
とりあえず彼の家の環境が整うまでは、金魚たちはセンターの階段下で暮らしている。仕事の合間にまーくんは金魚にえさをやったり、バケツの水を換えてやったりしている。それはいいのだが、昨日の夕方、仕事が終わってまーくんはバケツの水を換えようとして、廊下ですってんころりんと転んで、頭を壁にごいーんと打ちつけてしまった。
他の職員が心配そうに見守る中、きょうもまーくんは「金魚の育て方」というパンフとにらめっこをしている。
11月11日(土)スーパーボールで休日出勤?
別にアメフトがらみの仕事をしているわけではない。実は今日と明日、うちのセンター管内の「ふれあいまつり」というものが開催されるのだ。基本的には公民館関係の行事なのだが、わしら市民センターの職員も動員されている。
で、くだんのスーパーボールなのだが、今回のわしは、「校区社会福祉協議会」の手伝いで、露天商のおっちゃんよろしく「ヨーヨー釣り」と「スーパーボールすくい」の担当となった。スーパーボールというのはみんな知ってると思うが、ゴムで出来た直径2〜3センチくらいのボールでやたらめったら弾むあのボールのことだ。それを水槽に浮かべて金魚すくいよろしく、紙の網ですくうのである。隣では金魚すくいもやっているのだが、なぜか子供たちにはこちらのほうが人気が高い。それも男の子・女の子関係なくである。確かに考えてみれば、水の中をすいすい泳ぎ回って捕まえにくい金魚よりも、ぷか〜っと浮かんでいるだけのスーパーボールのほうが獲りやすいのかもしれない。
とは言え、やはり破れやすい紙のこと、下手をすると一個も獲れないのだが、一応サービスで獲れなかった子供には一個渡すことになっている。ちなみに一回50円だ。ところが中にはコツを見つけて、一人で10個も20個もとる強者もいる。すると数が取れなかった子供がリベンジをかましにやってくるのだ。その中には返り討ちに遭う奴もいる・・・。
「おっちゃん!もう一回やらして!いや、今度は10回分!(手には500円玉)」
「お?なんだ、おまえもう4回ぐらいやっただろーが・・・。」
「うん。こんどはいっぱい獲るからさ!!」
「・・・・・。だめ。おまえはもう終わり。」
「ええっ?!なあんでだよっ!!」
「あほ!無駄遣いだろーが。それに見れ!ほかにもいろんな出店があるんだから、お金を使うならそこで使え。」
「だっておれ、スーパーボール欲しいもん!おれのお金使うんだからいーじゃんか!」
「ばっきゃろー!自分のお金だから大切に使わないとだめじゃないか!」
「・・・・ちぇ・・・。わかったよ・・・・」
こんな会話を何回したかわからない。
ほんとうなら、わしが子供等の小遣いの心配など、まったくする必要もないのだが・・・・・。
おせっかいだと思うかい?えぶりばでい?
ご意見のあるひとは、題名に『1111の件』と書いて、ペンペンの足跡に書き込んでくれ。
:::雑記:::
きょうは露天商を意識してそれっぽいファッション(ジャージにブラックシャツ)だったのだが、同僚のまーくんに「・・・なんか、露天商でも日本人っぽく無いですね・・・。中華風ってゆーか・・・」と言われてしまった。
11月5日(日)ほを・・・
庵野ちゃんの式日が、東京国際映画祭のコンペティションで『優秀芸術貢献賞』というものを戴いたそうだ。
はっきりしたことは、まだ情報が入っていないので、どういう賞なのかはまだ良く分からない。
ただ、名前からすると、いわゆる「敢闘賞(努力賞??)」的な匂いがする(爆)。
まあそれはどうあれ、何某かの賞を戴けたということはそれだけ認められたということなので、ここはみんなで祝おうじゃないか。
詳細については「式日公式HP」で紹介があるとは思うが、この創さんのほめぱげでもいろいろと情報を流していくつもりだ。
11月2日(木)11月は脳天パー・・・?
さて、明日から始まる連休の前に、仕事が終わってちょいと街に出た。
今の職場になってから、この『街に出る』という言葉がちょいとトクベツなものになった。いままでは本庁だったので、仕事が終わって建物を出ればそこはすでに『街』のど真ん中なのだが、いまのセンターは郊外にあるのでわざわざ街まで出ないといけないのだ。
まあ、その目的自体はたいしたことではなかったのだが、ついでにある本屋さんに寄った。
買ったのは、『式日』のパンフレット。
一冊1,050円也だ。
映画のパンフというと、ちょいと値段的に高いと思う向きもあるかもしれないが、映画のブックレットの他に主演の藤谷文子原作の『逃避夢』が丸ごと載っているのだ。まだ逃避夢は読んでいないのだが、以前からこの『逃避夢』という言葉は「to him」とのダブルミーニングじゃないかと思っている。
というのは、もうしわけないが、わしはいままで藤谷文子という女優のことを
1.ガメラのねえちゃん
2.親父さんはスティーブン・セガール
くらいの認識しかなかったのだ。
それがこの式日をきっかけに、彼女のことについていろいろな情報が入ってくるようになり、なぜ彼女がこの『逃避夢』を書くようになったのか、ということがわしなりに見えてきた。その結果、たどり着いた一つのことが、先の『逃避夢=to him』ということだ。
そこには彼女が逃げたがっているものと、渇望しているものが見えてくる。
追伸:素顔の文子ちゃん
素顔の彼女は、そこらにいるフツーの気さくな女の子だ。(多少天然あり)
ただし、なぜわしがそれを知っているかは、式日のパンフを見ないとわからんよ(謎爆)
なんたって、わしの名前がクレジットされてるんだもーん(笑)
↑
10月29日(日)本日のオコトバ
『初心忘るべからず』
という言葉がある。
よく聞く言葉だし、誰もが一度は口にしたことがあるだろう。常日頃から気にかけている人もいると思う。
かく言うわしもいちおう座右の銘にしているのだが、日頃の様子を自ら振り返るに、常に実践しているとは言いがたい。って言うか、してるわけが無い。
今の仕事に就いて早10数年。「ぴゅあ」な気持ちもかなり薄くなりつつある。仕事中にそのことに気づき、思わず気を引き締め直すこともしばしばだ。
昨日、旧友の家に遊びに行っていて、改めてそのことを感じた。
彼女に感謝。
10月27日(金)金夜はロック座!>ストリップ劇場じゃないよ
わしはいま、2台の車を持っている。
1台は言わずと知れた『ユーノスロードスター』。マツダロードスターではないのだ。1.6リッターDOHCエンジンのバリバリ前期型モデルだ。
もう一つは、日ごろの下駄グルマ、『マツダ・デミオ』。東京モーターショーで発表されて以来目をつけていて、発表と同時に申し込んだ。
別にマツダ党というわけではないが、今現在「この車が欲しい」という車が無いのだ。いや、実際には欲しい車、乗ってみたい車は沢山あるが、現実に購入して乗り回すという範囲に限っては該当する車が無い。
やはり子供時代にクルマに感じたあの『しびれるような感覚』は、次々と発表される新車からは伝わってこない。最近伝わった車は、やはりユーノスとデミオということになる。
あまり懐古的になると、歳を取った証拠というが、子供の頃感じたあのクルマに対する憧れ・・・。どんどん遠くなってしまう・・・。
先日、新しいカローラシリーズが発表された。
それに伴い、レビン・トレノシリーズはとうとう無くなってしまった。
かつてAE86(ハチロク)スプリンタートレノ3ドア・GTアペックスのオーナーだったわしには、なんとも言えない。
もうすぐ冬がやってくる。
今年の冬雷は、最後の雷鳴(TRUENO)なのかもしれない。
P.S.LEVINは稲妻だよ。
10月21日(土)すぽおつの秋!
シドニーではパラリンピックが始まり、プロ野球の日本シリーズも開幕した。現在9時過ぎの時点で巨人対福岡ダイエーは、3対5でダイエーが2点差で勝っている。
きょうの日本シリーズ第1戦は世紀のON対決の名に恥じない勝負といっていい。
わし的にはそんなに入れ込んで見ているわけではないが、やはり世代的にも『王VS長嶋』というとまさに夢の対決だ。かつての僚友が互いの覇権を賭けて戦う。ま、実際に試合をするのはそれぞれのチームの選手なので、彼らには「ON」に関係なく、自分達のために試合を戦ってくれればいい。
ちなみにわしは、王か長嶋かといわれれば『王派』だ。
長嶋さんという人は、まずはじめに存在有りきといった人で、根っからスターの称号が似合う人だ。『記録より記憶に残る選手』とはよく言ったものだ。一方、王さんは長嶋を金に例えるならば、白金の輝きといった感じだろうか。金のように燦然と輝くわけではなく、普段は物静かにしているが、その実は「ホームランの世界記録」というとてつもない『金字塔』を建てている。
そこにわしは『男の美学』を感じる。普段は静かにその光を抑え、ここぞという時に一気に輝く。そのタイミングを外してしまうと、これがいくら輝いても意味が無い。その時流を知ることも男の嗜みなのだ。
と、ここまで書いたら試合が終わった。今日はダイエーの勝ち。
お知らせ
庵野ちゃんがついに自分のHPを開設した。今は『式shiki−jitsu日』のことが中心になっていて、国際映画祭や東京都写真美術館のことをはじめ、グッズの販売情報も最速で流される。地元発信の公式『式shiki−jitsu日』のHPもあるが、庵野のHPは、本人のこれまでの仕事の足跡から個人のプロフィールまで公開されている。これは彼にしては非常にめずらしいことだ。これからもコンテンツが増えていくと思うので、庵野ファンは必見だ。
10月14日(土)
さすがに10月の中ばともなると、朝夕の空気も冷やりとしてくる。秋ももう晩秋だねえ・・・(ずず〜)>お茶を飲む音
あ、ほめぱげ開設3周年を過ぎた・・・(汗)
静かに4年目です。
これからも夜露死苦(笑)
10月6日(金)アースシェーカー
今日午後1時30分頃、鳥取県境港市を中心に地震が起きた。震源地の境港では震度6強を観測。わしらの街でも震度3のゆれだった。
ちょうど今は国勢調査の関係で、うちのセンターも調査員さんたちの出入りが多いのだが、その真っ最中のことだった。
まーくん「あれ?ゆれてる??」
わし 「何がだ?」
まーくん「ほらあ!壁の時計が・・・!」
ゆらあ〜
わし 「おー、ゆれとるゆれとる」
そのうち・・・・・・
ゆらゆらゆらゆらゆらゆら・・・・・
ぢょし職員「きゃあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!ぢしんよ、ぢしん!!」
今回の地震は揺れる時間も比較的長く(実際には数十秒くらいだろうが、感覚的には2分くらい揺られたような気がした)、ここ最近は体験したことの無い、はっきり地震と言いきれる地震だった。ちょっとボキャ変。
こちらの方は被害はなかったが、震源地周辺の鳥取県では家の中の家具が倒れたり、商店の陳列棚が倒れたり、怪我をした人もいたと聞く。びっくりしたというか、すぐにTVのスイッチを入れてみたら♪さすがは天下のNHK〜♪地震の5分後にはTVで速報を入れ、画面を切り替えていた。
10月1日(日)
一日早いが、きょうは親父の一周忌の法要があった。あっという間の一年だったね。
さて、世間ではオリンピックも終わってしまった。今回の大会もいろいろとドラマを見せてくれたが、なんと言っても柔道の柔ちゃんこと田村亮子の金メダルをはじめ、マラソンの高橋選手の金メダルとなんだか女性陣の活躍が目立つ日本選手団だった。
金メダルといえば、柔道の100キロ超級の篠原選手の涙の銀メダルがやはり印象深い。
問題はそのあとだ。
決勝で主審を務めたのがニュージーランドの人らしいが、ニュージーランドの柔道連盟の事務局には抗議のEメールが殺到しているらしい。ほとんどが日本人からのものらしいが、『死んでしまえ!』とか『ぶっ殺す!!』とかいったものばかりらしい。
なんでそんな低脳な行動をするかなあ・・・?正式な抗議は日本の柔道連盟がするんだからそれに水を差すようなマネは厳に慎んでいただきたい。でないと、篠原選手の顔に泥を塗ることにもなるんだぞ。
「自分が弱かったから負けただけです。」
あのコメントを彼がどんな気持ちで言ったのか、もう一度じっくり考えていただきたい。