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12月15日(水)

3ヶ月間のご無沙汰なのだ。

さすがにこれだけ間が開くと、何から語ったらいいか(語るのかよ)、ネタの選択に困ってしまう。

ま、なんとか今年の誕生日を無事に迎えることができ、あらためて「健康」ということのありがたさを認識している昨今だ。

ところで、毎年12月のこの時期になると、この日記では「忠臣蔵」について書いていたりするんだけど、今年はちょっと毛色を変えて「新選組!」についてお話をしたい。ビックリマーク(!)つきの今年の大河ドラマだ。

この大河ドラマの製作発表を聞いて、ビックリした人(ちゃぶ台をひっくり返した人も含む)は少なくないだろう。脚本:三谷幸喜、主人公近藤勇役:香取慎吾(byスマップ)という思いもよらない取り合わせだ。三谷さんは、独特の「三谷ワールド」ともいうべき世界観が定着しており、その世界と「NHKの大河ドラマ」の持っている雰囲気が、わしにはどうしてもシンクロできない。香取慎吾にしても、アイドルグループのメンバーという肩書きと、あの「新選組局長近藤勇」が何処をどう押せば繋がるのか?正直、わしも「そこまでやるかよ、NHK・・・」というのが偽らざる感想だった。なお、「そこまで」の真意は、みなさんご自由に想像してくれていい(笑)。

昨年の「武蔵」に関しては、かつてNHKの水曜時代劇で放送された役所広司主演の「宮本武蔵」のほうが印象強く、ヒロインの「おつう」も、わしのイメージとちょっと違った(理由は他にもある)こともあり、数回で観るのを止めてTV朝日の「大改造!!劇的ビフォーアフター」に走ってしまった。ま、一応巌流島の決闘シーンだけはチェックしたが(地元ニュースでもさんざんやってたしな)・・・。

おまけに去年の暮れから入院し、TVが見れるようになったのは、ようやっと3月の終わりごろからで、結局「新選組!」は見ないまま過ごしていた。それが、たまたまNHKの番宣で「友の死」(山南敬助の切腹)の回の放送を知った。
山南敬助といえば、新選組に詳しくないわしでも名前くらいは知っている。近藤・土方に並ぶ重鎮だし、粛清された新選組隊士の中でもひときわクローズアップされる存在だ。なにより恋人、明里との悲恋物語も有名だ(わしも知ってるくらいだし)。そのこともあったし、まあ、話の種にでも見てみるか、な予定だったのが、そのままずるずると見つづけてしまった。

結論から言おう。「見てよかった」というのが正直な感想だ。いい意味で裏切られたと言えばいいだろうか。とにかくいままでTVの中で捉えていた、役者さん達の印象がかなり変わった。若い役者さん達は、確かに細かいことを言えばせりふの言い回しやタイミング、所作等に突っ込みたいところは多々あったが、だんだん「らしく」見えてくるから面白い。近藤勇役の香取慎吾、土方歳三役の山本耕史、沖田総司役の藤原竜也にしてもそうだ。藤原竜也は少々「少女漫画チックな沖田総司」だな、とも思ったが、まわりの役者とのバランスという面から考えれば、むしろこちらのほうがスッキリしているのかもしれない。もっとも彼の年齢不相応な演技力には定評があり、決してなよなよした沖田ではなかったことは、付け加えておく。また栗塚旭、島田順司といったかつての「土方歳三、沖田総司」の出演もあり、それぞれ今の土方・沖田にとって重要な位置付けで登場している。

わしは今まで、新選組という集団に関しては特別の感情を持ったことは無く、これからもたぶんそれは変わらないと思う。しかし、この「新選組!」という群像劇を見ることができたおかげで、近藤・土方・沖田ら3人以外の隊士の名前も覚えることができた(笑)。ところで、本当に「見てよかった」と思う理由は、実は他にある。

10月の終わりごろか、11月の初めだったか。その頃からYAHOOの掲示板「大河ドラマ」のカテをロムしていたのだが、「高麗人参事件(土方は屯所を引き払うにあたり、隊の金を隊士に分配する。すると、近藤以下主だった面々がその金で高麗人参を買い、労咳で臥せっている総司を見舞う。それもみんなが金を出し合ってというのではなく、一人一人がこっそりと沖田のところへ持っていくのだが、行ってみるとそこにはすでに他のみんなも同じように持ってきていたというオチだ。それもまた、「ラッピング(笑)」がそれぞれに違うというのが細かい演出だ。)をきっかけにBBSに書き込みをするようになった。

そこでいろいろな人と接し、自分が長州の人間でありながら、「幕末・明治維新」という時代についてなにも知らないということを改めて思い知った。そこからいろいろとネットでこの時代を調べながら、「会津の人たちの思い」を知った(戊辰戦争)。少し古い資料だが、会津の人口の30%の人が、「山口(長州)にこだわる」という。市長選挙で「長州との和解」を口にしようものなら、選挙に勝てないという話も聞いた。詳しいことを調べようと思えば、検索エンジンに「会津の怨念 薩摩 長州 戊辰戦争」といったキーワードを入れてやると、さまざまなサイトを見ることができる。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」賊軍にされた会津の人々は、明治新政府成立後もさまざまなところで苦汁を飲まされたという。

勝者の語る歴史の中では、敗者は埋もれてしまう。同時に、敗者によって語り継がれた歴史が、必ずしも正しいというわけではない。
にわか贖罪者になる必要も無いが、自分の先祖達が関係したかもしれない歴史を、一度は自分で見つめなおす必要があるのは確かだ。
この「新選組!」は、わしにそういう気持ちを持たせてくれた。そのことにわしは感謝したい。



9月5日(日)

アテネオリンピックも終わり、気がつけばもう9月だ。朝方は涼しさを通り越して、少々寒く感じるときもある。

寒いのはいやだな〜。

しかし、この時期困るのが台風だ〜。先だっての16号は、こちらでも被害を出してしまった。市内では、床下浸水した世帯も数十軒に及んだ。

今も18号が、不気味な動きをしている。ほんとに困ったものだ。

久しぶりにコンテンツの更新をした。シアターレビューのコーナーだ。

え?ネタは何だ?

「ゴーヤーマン」さぁ!(謎)

歯が痛いので、今日はここまで・・・。



8月20日(金)

一ヶ月ぶりのご無沙汰だ。

実は、5日間ほどまたまた入院していたのだ。や、別にまた具合が悪くなったわけじゃないのでご安心を

前の入院の時に、人工呼吸器を装着するために切開した喉の穴が、そのまま開きっぱなしになっていたので、それを塞ぐためにちょっくら手術をしてもらった。

正確には、あらかた塞がっていたんだけど、あと少し、2mmくらい残して小さな穴が開いていた。普通は、自然に塞がるらしいんだけど、ごくまれに塞がりきらない人も居るらしい

どうやら、そのごくまれな人になってしまったわけだ(笑)。

16日の午前中に病院に入り、午後から即手術となった。状況は、切開したところの皮膚と、気管が癒着していたため、まず電気メスで癒着したところを少しづつ剥がし、改めて気管を縫合。そのあとで皮膚を縫い合わせるというものだ。手術の時間はおよそ1時間程度。ま、そんなに大事ではなかったようだ。

とは言え、場所が場所だけに外来で、というわけにはいかず、それでかくの如くにござ候という次第。

今回の入院は、前回と違い、リハビリがあるわけでもなく、とにかく暇だった。こんなことなら、前の入院中に手術しておけば良かったとも思ったけど、あの頃は、もうこれ以上痛い目を見るのはこりごりだったし、あわよくば自然に塞がるかもと密かに期待していたので、とうとうそのままにしてしまっていたのだ。

ま、なんだかんだといっても、やっと塞がったので、良しとしておこう。

実際、喉に穴があると不便で仕方がなかった。勝手に息が抜けてしまうのである。

特に、話をしている最中に「ふしゅ〜」と抜けてしまうと、途端に息が続かなくなり、話が出来なくなってしまうのだ。これでは仕事も一苦労さ〜ね〜。

それになにより、風呂に入るときにも水が入らないように気を遣うし、ばい菌でも入ったらそれこそえらいことだ。

多分傷跡は残ってしまうだろうけど、ま、男だしね。関係ないのだ。

さて、世間はオリンピックモード一色だ。

特に、今日は地元出身である、柔道女子の78kg級の阿武選手の金メダル!特に前回、前々回は1回戦でまさかの敗退だっただけに、喜びもひとしおである。

連日日本選手団の活躍が伝えられている。反面、涙を飲む選手もいるわけだが、勝つものもいれば、負けるものもいるのが勝負の世界だ。

わしなどが、偉そうなことを言える立場ではないが、みんながんばって欲しい。

そういえば、卓球の福原愛選手の「さぁ!」という掛け声が話題になっていたが、あれはどうだろう?結構卓球やっている人は、みんな「さぁ!」ってのは使っていると思うぞ。

何を隠そう、わしも中学時代は卓球をかじっていたのだ。ま、かじるだけだけど(笑)。その頃からうちらも「さぁ!」とか「っしゃあ!」とかやってたぞ。





7月22日(木)

しかし暑い・・・。

もう30度以上の気温は、常識になってしまい、とうとう40度を平気に越える日本の夏になってしまった。地球温暖化、ヒートアイランド現象、などなど背筋が寒くなるような言葉が氾濫するのに、この気温の高さは皮肉なものだ。そんなこんなで、ついつい涼しい部屋にこもりがちな生活になってしまい、おかげでこの日記のネタにも事欠く始末だ(ほんとにそうなのか?)。

んで、徒然なるままにテレビを見ていてもろくなニュースをやっていない。なかでも一連の三菱事件は、やりきれないの一語に尽きる。

このHPのETCのコーナーにも書いているように、わしが一番初めにマイカーにしたのは「三菱ミラージュ」という車だ。それも初代のモデルである。

初代みらげ

いまでこそマツダのクルマにばかり乗っているが、このミラージュを買った頃までは、わしは三菱の車が好きだった。エンジンの名前に「サターン」「オリオン」「ネプチューン」などと愛称をつけたり(1400はシリウスだったかな?いや、1850か?これも変な排気量だが・・・)と、個人的にトヨタ・ニッサンといった大勢力メーカーとは一味違ったクルマを創る(作るというより「創る」ね)会社というイメージがあった。
このミラージュ(1400GL−X)というクルマは、名古屋時代とこっちに帰ってきてからの1年少し、通算で5年少々を共に過ごした。 わしのは3速のATだったけど、マニュアル車は4速+副変速機という変わった仕様のクルマだった。ホンダシビックが火をつけた「2ボックスコンパクトカー」というジャンルの中ではヒットしたクルマだったとおもう。

陳腐な言い方だが、ホントに青春時代の甘いも辛いもこのクルマと一緒に経験したといえる。
(ちなみに甘い辛いの内容は秘密だ)







それだけに三菱自動車がいま報道されているようなメーカーだったのかと思うと、たとえ今は三菱車に乗っていなくてもホントにやりきれない。

なにせ、命を失った人がいるのだからな。

先ほどWeb上で、今年開催されるWRCの北海道ラリーに未だ三菱チームがエントリーしていないことがニュースとして流れていた。

今年の三菱チームは、成績もあまり芳しくないようだが、「やはりご本家の事情を考えると、ラリーどころではない」というのが実情なのかもしれない。

本来なら、ラリー参戦とリコール隠しの問題は切り離して考えても差し支えないようにも思えるが、やはり世間の目はそう甘くはないだろう。ことに日本人の感覚としては、ね・・・。



んで、暗い話題になったので、アカルイ話題にいこう。

最近またまた「お笑い」がブームになっている。わしらが若い頃にもおおきなお笑いブームがあり、B&Bやツービート、紳介・竜介(合ってる?)、上方のりお・よしお、ザ・ぼんちなどが時代を席巻した。

当時のバブリーな時代背景もあったのか、まさに「席巻した」といえるほど社会現象を巻き起こした。

それとくらべると、今のお笑いブームのあり方は少し雰囲気が違うが、それでもいろんなTV番組にさまざまな(ユニット)が出演している。

実をいうと、いまのお笑いユニットは、なかなかわしの感覚にシンクロしてくれない。

ひとつにはわしの年齢的なものもあるのかもしれん(笑)。おっさんは、若い衆の笑いの感覚にはついて行けんのかもな(爆)。

そんななかでわしが「面白い!」とおもえる数少ないユニット?が「パペットマペット」だ。

東京ボードビルショーの「レッドスネーク、カモン!」というのもあるが、あの蛇たちは喋らない。

のんきで正直なうし君と、隙あらば彼を陥れようとするカエル君のコンビは、下手な二人組のお笑いコンビよりも絶妙だ。

正直、お笑い番組はあまり見ることはないが、パペットマペットの名前は、チェックを入れるようにしている。

最後に報告を。




・・・・ちゅらさんDVD−BOXセット・・・・、注文してしまいました(あせあせ)

だって、9月に「ちゅらさん3」があるんだってばさ。

予習しとかないと・・・・。

じゃあ「2」のDVDはどうしよう・・・(自滅)





6月11日(金)

 昨日6月10日に、ウェルサンピア宇部というところで、橋田信介さん・小川功太郎さんのおわかれ会が開かれた。二人については、いまや多くを語ることもあるまい。おわかれ会の模様も、全国ニュースで放送された。

 ところで、わしは、橋田さんの名前だけは数年前から聞いていた。実はわしの手話の師匠筋にあたる人のご主人が、橋田さんの同級生なのである。その関係で、橋田さんがカンボジアなどを取材している頃から、その人を通じて橋田さんのことを知った。
 かといって、当時のわしとしては『57へぇ(笑)』くらいのレベルで聞いていた程度だった。

 橋田さんの名前に再び出会ったのは、今回の入院中だった。
 入院中に読んだ本の中に、『最後のアジアパー伝』という本がある。本当のところはこの本の著者よりも、共同執筆者で著者の元妻、西原理恵子氏の挿絵(というか、漫画)に惹かれたからなのだが・・・。
 この著者、鴨志田穣氏は、かつて橋田信介さんと一緒にカンボジアやユーゴスラビアで戦場カメラマンとして取材活動をしており、そのときのエピソードなどを綴ったのがこの『最後のアジアパー伝』だ。作品中に橋田さんの名前を見つけたとき、錆付いていた記憶の引出しがギギギと開いた。もっともこの本はシリーズもので、この作品が最終章なのである。残念ながら、わしはこれ以前の作品は未読である。

 橋田さんや鴨志田氏には、隣り合わせで『死の危険』がいつも寄り添っている。ポルポト派ゲリラの取材に行って拘束されたり、通訳から弾除けのおまじないだといって、敵の兵士の腹を割いて肝臓を食べるカンボジア政府軍兵士の話をきかされたりしているにもかかわらず、橋田さんたちの戦場取材の様子は、本当にさらっと書いてある。バンコクのジャンク屋で、役にも立たない薄っぺらな防弾チョッキを値切ったり、サラエボの家族に届けてくれと頼まれたハムやワインを「荷物が重い」といってむしゃむしゃ食べてしまい、届けたときには目録よりも中身が少なくなっていたり、といった話もだ。
 なのに読感は非常にドライだ。それが一層『戦争の無常観』を強調している。悲劇と喜劇もまた、表裏一体である。

 橋田さんは、最近まで地元新聞(旧ウベニチ。現宇部日報)にエッセイを寄稿されていた。いまそのエッセイをweb上で読むことができる。

 2003年1月の初めに「初夢」というエッセイがある。
 バンコクでマージャンの卓を囲んでいた友人が亡くなった。橋田さんたちマージャンの仲間内では、誰かが死んだら、天国でもマージャンができるかどうか調べて、生きているものに報告しようと決めていたそうだ。すると、この死んだ友人が橋田さんの枕元にたって「喜べ、天国にもマージャンがあった」と告げる。同時に、「今年の春のマージャン大会にお前の名前が入っている」といって、無気味に笑って消えたそうだ。1年の違いがあるとはいえ、橋田さんはこの友人の言うとおり、鬼籍へと入られた。やはりなにか、虫の知らせのようなもの、あるいは、戦場ジャーナリストとしての予感があったのかもしれない。

 また、エッセイでは、『宇部』という名の由来を、追いかけていた。「『うべ』というのは「海辺」が変化したもの」とよくいわれる。橋田さんは、「だったら、日本はそこらじゅう海辺だらけじゃないか。もっと「宇部」と似た地名があってもいいはずだ」と、考える。そして、『宇治部』というキーワードにたどり着く。くわしくはWebエッセイ「橋田信介おもしろエッセイ集」をご覧いただきたい。

 そろそろ戦場ジャーナリストとしては、引退を考えていたという橋田さん。引退後は、ぜひ「宇部の謎」に挑みつづけて欲しかった。
 奥さんの「橋田がほんとうに愛した、山口県宇部市に骨を置いてやりたい」という言葉。テレビの画面を通してではあるが、実感としてわしの胸に響いてきた。



6月6日(日)

月が変わった。今月からいよいよ復職した。とはいえ、先週は半日づつの出勤で、ま、じょじょに身体を慣れさせるところから・・・、というかんじ。

とにかく、動かないとリハビリにはならないしな。

で、昨日の夜は、われらSHADOのアジト『らいぶ』へ入院以来数ヶ月ぶりに顔を出した。

久しぶりに飲んだコーヒーの美味しかったこと!!

さて、先月末日から西日本は入梅となったのだが、未だに雨が降ってこない。ま、明日の昼からはどうやら降り出すようではある。

おかげで今日は、晴天の日曜となった。

午前中は、親父の墓へ行って退院の報告。

親戚のひとに言わせると、「あんたの命が助かったのは、お父さんが『まだこっちに来るな』ってゆうてくれたからよ」ということらしい・・・。

とにかく、今回の入院は多くの人に心配をかけた。

毎晩寝るときに、どこを向いても誰かに足を向けることになるので、困ってしまう・・・。




5月29日(土)

入院中、重体だった時期はともかく、身体が回復してくるにつれてだんだん手持ち無沙汰になってきた(笑)。

そこで、読書三昧となった。

4月の中ごろだったろうか、院内を車椅子で動けるようになったので、売店へといってみた。

週刊誌のほかに文庫本が何種類かあって、目についたのが池波正太郎の「剣客商売」という作品。

「鬼平犯科帳」や「仕掛人梅安」とならぶ代表作品である。TVや映画でも映像化され、最近ではフジテレビの「火曜時代劇シリーズ」で5シリーズにわたって放送された。

売店へ買いに行った時は、1巻しかなかったので、残りの10数巻(全16巻と番外編3巻)をすぐに追加注文したくらいだ。

時は世に言う「田沼時代」。江戸の大川沿い鐘ヶ淵に秋山小兵衛という六十がらみの老人が隠遁していた。先妻に死に別れ、いまはなんと40歳も若い女房のおはるといっしょだ。

実は小兵衛は隠居しているとはいえ、無外流の達人で、江戸の剣術界では知る人ぞ知るという剣客なのだ。

その小兵衛が、息子の大治郎(やはり無外流の名手、浅草で小さな道場をやっている)や岡っ引の弥七(かつては小兵衛の弟子)、やがては息子の嫁となる女剣士の佐々木三冬(実は田沼意次の妾腹の娘)達とともに難事件を解決していく。

見方を変えれば、小兵衛はお節介焼きの爺さんなのだが、いわゆる「粋」なのである。ダンディな爺さまなのだ。

これにさまざまな事件を通じて小兵衛たちと知り合った、『秋山小兵衛ファミリー』ともいうべき脇役が一緒になって物語がすすんでいく。

いずれは「ETC」のコーナーででもじっくり取り上げたい作品だ。


で、TVでハマってしまったのが沖縄ブームの火付け役になったNHK朝の連続ドラマ「ちゅらさん」だ。

このドラマはちょうどわしが今の職場に移動した頃放送されていて、昼休みにみんなで見ていたらいつのまにかファンになってしまった。放送が終了しても人気が衰えず、とうとう月曜ドラマシリーズで「ちゅらさん2」という続編まで作られた。未確認情報だが、今秋には「ちゅらさん3」があるらしい。

どこが良い、とは一口では言い難い。あの「なんくうなるさ〜」的な独特のペースというか、絶対に世の中こんなに甘くはない!と思いつつ、ついつい現実逃避してしまいながらも「よし!明日もがんばるぞ!」と、いつの間にか元気が出る不思議なドラマだ。

主役の国仲涼子も、役名の「えり〜(古波蔵恵理)」の方が、先に浮かんでしまう。

個人的には、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠が出ていたり、山田孝之扮する古波蔵恵達がロックに目覚め、ギターを始めることになり、ライブハウスでのシーンがかなりあったりと、結構おいしいドラマだった。

恵達はフェンダーのテレキャスターを「初めてのギター」として手に入れるが、あれは本人が選んだのか、スタッフが選んだのか、鮎川氏(恵達の師匠役)なのか???

ちなみにライブハウスで演奏されていたのはツェッペリンの「Rock’n’roll」やキンクスの「You reary gat me」。

そんなちゅらさんが、3月の末からBSで放送されていて、病室のケーブルテレビで月曜から金曜まで毎晩観ていた。

実は今のアパートにはBS放送を受信する手段がないので、見ることが出来ず、非常に残念だったのだが・・・・・

DVDがBOXで出ていることがわかった(にやり)。ところが・・・



左が朝ドラヴァージョンで¥51,870。右が月ドラヴァージョンで¥14,805だそうな・・・。う〜む。



ちなみに、「剣客商売第1シリーズDVD−BOX」は、¥19,950だそうな(笑)





5月24日(月)

さて、どこからお話したらいいだろう・・・・。

昨年の8月からこっち、まったく更新をしていなかったこのHP。

実は、昨年の12月29日から今日まで、わしは入院をしていたのだ。

小学校4年生のときに盲腸で入院して以来だ。

今回の入院はかなり深刻で、実は病院に運ばれたとき、すでに死んでいてもおかしくなかったらしい。その後肺炎を併発し、入院中にも2度ほど三途の川の一歩手前までいった。

気管を切開されて、人工呼吸器の世話にもなった。実は未だに少し喉に穴が開いている(笑)。

それでも家族をはじめ、親戚、友人の応援、なにより看護師さんやドクターのおかげてどうやら一命をとりとめ、本日退院することが出来た。

100%の全快というわけではないが、どうやら6月からは職場にも復帰できることになった。

入院中の様子は、またすこしづつこのHPで書いていくつもりだ。

なにはともあれ、いまは健康のありがたさが身にしみている。

これからも「創さんのほめぱげ」をよろしく!!